人間大学・卒業論文!?「教育とは何か?」 P
今回、国立市・谷保の名物、早咲きの桜とともにお届けするのは。。
最近、フェイスブックに書き込んだ「教育について」の考え方を自分なりに整理した記事。久々の長文です。
お題は、「夢を叶えることを優先したい甥っ子に、大学進学を勧める方法」です。先日妹と、春に中学に上がる甥っ子の将来について話していました。
甥っ子は、子供の頃からある夢を抱いていて。大学進学よりも夢を優先したいらしく。で、妹は、
「息子に大学に入っておいた方がいいよ、とは言ってるんだけど。。私自身、息子の夢と、なぜ大学に行かなければいけないのか? がきれいに結びつかなくて。。息子自身に、大学に行きたい!と思わせる理由が上手く説明できないんだよね」とのことで。という訳で。。「なぜ甥っ子は、自身の夢を叶えるために大学に行っておいた方が良いか?」その理由を、叔父であるワタクシが、甥っ子に伝える役目をば担当する運びになりました。
ま、甥っ子もかしこい子だから、その時点で自分に大学が必要だとわかっていたら、自分でそれを選ぶような気がするので、基本、全然心配していないんですが。今回の問題点として家族のしがらみなど関わるものなら、まぁ、その時点で甥っ子が自立してればいいだけだし。妹家族も筋さえ通っていたら全然それはウェルカムだろうし。そこもそこまで心配はしていない。甥っ子は、現時点ですでに、過剰なプレゼン能力も有しているし。その歳には、家族を平和に説得できるレベルにコミュニケーション能力も上がっているだろうし。で、仮に甥っ子に大学進学を勧めるのであれば。。夢を叶えるには準備期間が必要で、地盤が強ければ強いほど有利で便利だと今は思えるので、それを伝えるかと。地盤がしっかりしていれば、取れるリスクの幅も広がるし。故に、親に大学にいかせてもらえるんだったら、行ったほうが得だからじゃんじゃん行きな、というのが僕の前提。僕は18で自立し就職しているので、大学進学と言う選択肢は、子供の頃から想定したことがなかったし。高校三年の時に、担任に「美大を受けないか?」と言われても「美大っていうものが日本にはあるんですか?」という始末。
当時は社会勉強が一番の関心事だったので、ま、飛び級ですねw で、独り暮らしをはじめてみて勉強が好きになったというありがちな展開です。
で、甥っ子の場合は親が学費を出したい!って言ってくれてるわけだし、それはこの件に関しては甘えでも何でもないわけだし。で、仮に大学進学を勧めるとして、僕ならこう説得する! というのをシュミレーションするなら。。
①君の親は、君の夢を応援する投資家だよ、と言うことを伝える。
②親がなぜ君にそうしたいのか? その理由を正しく伝える=息子により安全に幸せになって欲しいという想いからじゃないかな?と。
③大学の学費を自分で払って、4年間自分で生活するのにいくら必要かを甥っ子に計算させる=仕事の対価によって得られるのは、自分が得たいものを得る可能性の幅が広がること。それを理解してもらう。家族を養いたいから仕事をする人は、対価により、家族を養える自由の幅(この場合責任の持てる幅)が広がる。
作家であるなら、対価によって自分の自由(創作時間や発言権)を買うことができる。
つまり、何が欲しいのか? がわかっていないと、どんなふうに仕事をして良いのかが決まらないことをまず、伝える。で、甥っ子の夢は、ちっちゃい時から全くブレてない。
だから、甥っ子がその夢を叶えようと思ったら、まず必要なのは勉強や様々な体験をより自由に行える権利や時間=在学であることを伝える。
でも本当は、今すぐそれができないわけじゃないんだから、今すぐやったほうがより夢には近づくよ、とは伝えてはいて。
(以前に2回、仕事の企画を振ってみたことがあるんだけど、「ごめんゆうちゃん! この間打ち合わせした企画だけど、僕小学生やるのに忙しいから、少し難しくてさ」と甥っ子の方から、毎回企画が流れている笑)そこまで伝えてみて、でもやっぱり甥っ子が一番今大切にしたいのは、大学に行かず今やること!であれば、別に大学に行く必要性もない訳だし、じゃ、じゃんじゃんやっちゃいなと言うかと思います。
それを成功させるかどうかは自分次第だから、大学に行って4年間修行しておいた方が、ま、安全パイではあるけど、今やりたいならやっちゃおうぜ! と応援すると思う。自分の夢を叶える方法は他人にはわからないし、全ては自己責任と自己満足と割り切った方が、夢により早く近づける。
時間は有限。人生は一回。
当たり前の話だけどチャンスは常にこの瞬間にしかないし。
今目の前、つまりここに、すべてのチャンスがすでにあるじゃん。
それを選ぶかどうかは自分次第。
やらずに後悔するよりは、やって後悔する方がいいであろうし。
「やりたいことをやった」時点で、それを失敗したとしても、引き続きそれを諦めない限り、それは後悔ではなく反省=次への対策になるだけだし。
成功しても次に挑戦しなければ、それは停滞になっちゃうし。
ま、日本は特に平和だし、社会保障も整ってるから、そうそうひどいことにならないから、まずやってみたら? ということですね=自分にも言い聞かせている笑笑同時に、現在社会的にも、そういった認識への復興が始まっているから、すごくやりやすい時代であることも伝える。今は、夢を叶えるのにすごく動くきやすい豊かな時代。
大切なのは事後報告。結果を出してからそれを発信すること。
他の誰にも挑戦できない「自分の夢」に挑戦するんだから、失敗は当たり前。
誰かのために夢を叶える訳ではないから、必要のない発信を避けること。
その部分でまわりに心配をかけないこと。
まわりが心配しているなら、きちんと根拠のある説得に時間を割くこと。で、その方向に切り替えるなら、
①仕事の作り方
②独学の方法
③先生の見つけ方
④保険として、おいしいバイトの見つけ方、などなど。
つまり、「世界を大学にする方法」を自分なりに伝えるかと。人脈と情報さえあえれば、今はほぼ無料で上記の環境はつくれる訳だし。でも同時に、お金で買える物事の素晴らしさも伝えたいとは思っています。
専門的な現場で専門的な教育を受けられるというのはとても素晴らしいことだと。
で、例えば僕が甥っ子を説得するのに1番早いのは、一緒に受験するのがいいなと思いました。その際に、
①なぜ僕が大学に行きたいのか?
②どうして今の僕に大学に行く必要性があるのか?
③どうして僕は大学に行きたくて仕方がなく、行かずにはいられないのか?
④どうしてそれは、その大学に行かなければ手に入らないのか?
を、伝えれば良いのかなぁと。
この作戦の凄く良いところは、
①落ちても甥っ子や周りの誰にも迷惑はかからないこと。
②たとえ合格しなくても、勉強した事は自分の中に残ること。
リスクもないし得しかない。受験に失敗して恥ずかしいと思うような状況や歳でもないし。
妹は人間関係の賢者なので、自分自身に学歴や勉強の必要性をあまり感じていないタイプなのですが、やはり、息子のことだし、家族関係となると、どうしちゃったのお前? と言う判断を下すのが家族問題の常ですし。近いからこそ見えない。これは自分への戒めとしてという側面が、めちゃめちゃあります。なかなか自分のことは俯瞰して見れないかと。だからこそ、
①信頼できる誰かと、客観的な意見を精査できる環境はあったほうがいい。
と思っています。
本来それが、教育の現場であると思っていて、そういった意味でも僕は先生に恵まれてきたんだなぁと思います。さて。ここからが記事の本編となります!笑笑 前置きが長いのが僕の常ですが、そこは意識的にやっていますのでご心配なく。
最近、谷保の早咲きの桜のように、僕はひとつの学校を一足先に卒業しました。僕はこの約3年半、専門的な勉強を現場で仕事をしながら行ってきました。それは僕にとってかけがえのないほど大切な実りの時期だったんです。そこで得た大きな実りは、
①幸せとは何か?=他人の満足に合わせることではなく自己満足=主体性の大切さ。
②自立とは何か?=少しずつ周りの方に頼れるようになること。
③自由とは何か?=生きていること=いのち=誰にとっても時間は平等なのだから、どんなふうに時間を使うのも個人の自由=相手の自由を破壊する行為、それが暴力。
④社会とは何か?=関係性=つながり
⑤責任とは何か?=つながりを保つための行動。
⑥仕事とは何か?=社会と自分を結ぶためのツール。
⑦働くとは何か?=生きること=影響。
⑧自分を助ける力とは何か? =自分を信用・信頼できる力。つまり自信。
⑨自信をつけるためにはどうすればいいか?=成功すること。
⑩成功するには?=挑戦し失敗を学びに換えること。
⑪挑戦し続けるには?=健康でいること。
⑫健康でいるためには?=体調管理をすること。
⑬体調管理をするには?=気分や体調は結果論でしかないから、その結果に合わせて行動を変えていくこと。
つまり、好き、とか、楽しいといった感情も、すべて結果論。
恋も結果です。
逆に、愛はアクションとリアクション。
そこに愛すると言うことの素晴らしさ=自由があると思ってます。
こういった考え方や技術を養うスペシャリストの方々に囲まれ、ここ3年半、一緒に仕事をしていたのですが。。あぁ僕はやっぱり「人間大学」に通ったいたんだなぁと、今もつくづく感じていて。この「人間大学」に通っていなければ学べなかったことは多大にあり、そこでしか出会えなかった方々との思い出は、一生の宝物なんです。「強さとは何か?=生き様の美しさ」
芸術家として生計を立てている方は、世界中眺めてみてもかなり少ないですが、その現場のスペシャリストの方々や同僚の多くは「美しく生きることが生業=結果的に芸術で生計が立っている」かのようにしか、僕には見えませんでしたし、今もその方々をそう感じています。美しいコミュニケーション(作品やパフォーマンスなど)によって、人間関係を美しく創造しながら生活している人=それが芸術家の定義ですが、これは生易しいことではなく、水面下での努力や忍耐は計り知れず。
感じること=アート。しかし、アート=芸術(日本人よる誤訳らしいです)ではない。そして真に美しくあるには成熟は欠かせない。そういった気付きを得ることのできた大学でした。朝のラジオ体操や太極拳の現場では、お年寄りの方も多く、比較的多くの芸術家の方々にすんなり出会えたりもするのですが。。僕自身かなり未熟ですし、美しさを保ちつつ社会生活を送ることの難しさに、日々打ちのめされ、あがきながらやっているだけです。つまりこの記事に書かれていることは、すべてが僕の中の結果論であり、身体で獲得した言葉でもある。こうして妹に対し、甥っ子の夢を応援したい旨を伝えられるようになったことも、今ここにいる僕を支え、育ててくださった、「人間大学」の先生方からの教え、その結果でしかないんです。最後に、あらゆる先生方に教えていただいた、大きなふたつの気付きについて。
先生方を通し、あらゆる形で出会った教育の概念を書き記しつつ、今回の記事をまとめたいと思います。
①教育とは、生きる姿勢を示すこと。
②良い教育とは、それが教育と気づかれないままに教育がなされること。
耳にオープナーで穴を空けるみたいに、この三年間で空けることができた幸せへの小さな抜け穴。その風穴に、みなさんから教えて頂いたことをピアスのように飾りながら、これからも変わらず幸せでいます。
みなさん、三年半ありがとうございました。話は戻り。
妹家族の教育はとても素晴らしい形で、すでに甥っ子に花開いています。
だから僕は、何の心配もしていないんです。
自然の流れに任せていれば、なるようになる=よりよい方向にいくことがわかりやすく読めているので。
そんな訳で、やっぱり家族はいいものだなぁと感じています。
で、有言実行。
まず僕自身が、夢を叶えに行って来ます!
P
おまけ。
中学受験の時にはすでに「ま、4月になって振り返ってみたらどっかに受かってるでしょ」って言って、受験時の数学も適当に「3」って入れ、高校はほとんど授業に出ず、年間3分の1の休暇を使い課外事業を専攻していた僕の動画を貼らせて頂きます。
木村-黒田純子さん・後藤雅毅さん・AIUEOKA:植岡勇二 即興コラボ対談『シナプス哀歌』/小堀令子個展『The Net-Elegy』@ストライプハウスギャラリー