「今を生きろ!」人生の師匠たちとのコラボを経て
近所のフリースペース広島屋にて、詩の師匠である古川勇三さんと即興コラボライブしてきました。たまたまそこで知り合った村田さんご夫婦と、そのお友達のラスカルさんとも絡ませていただき……2月24日ランチライブの出演依頼も。嬉しい出会い!コラボ後、みなさんと呑んでいるとき、古さんに問われました。「あなたは詩をいつも理論で展開するけど、詩は理論でも説明でもないじゃない? それについてどう思うの?」 と。これは僕が良く対面する問いです。で、 「誰かと誰かの間にあるもの。その「つながり」を僕は詩だと思っています。で、その「つながり」は、個人個人の主観によって感じられるものなので、絶対に正解はなく、絶対に正確な言葉にはできないという絶対性を持っています」「そういった感覚や言葉が持つ絶対性を逆に利用して、世界の成り立ち(素粒子の唄:超ひも理論:スパーストリングス)を数や数式=音楽みたいに表現できるのが、実は詩だと思っているんです。だからたぶん、僕のやってる事は科学に近い。で、僕の朗読を「詩の朗読」って僕がいい表わすと、既成の詩のイメージとは違うという理由からだいたい事故るので、今は「朗読」という呼び方あたりが良いような気がします」
と、答えました。「ただの数とか数式になれたら、僕がゼロになれるのではないか? という予想です。ゼロになるってことは、無になるこではなく、フルになることなんです。
ゼロには+と-が同じだけ無限に含まれる。自分がオープンになって、結果、ゼロになることによって、関わってる人たちがフルの状態になる。そうコラボレーションを意識しながら朗読しています」
と伝えたんです。で、古さんが問いを重ねます。「それはそれですごく素晴らしいけど、じゃぁあんたは今、何をどう感じてるの? オレが訊きたいのはあんたの正直な言葉だよ。まわりくどい。あんたの感情を聞かせてよ」
と。この問いにはやはり、心を動かされずにはいられませんでした。同席していた心理士の資格も持っているラスカルさんや、もと哲学の教授である村田さんも同じことを言ってくれます。「すごく単純な話です。ゼロになるってことがフルになることなら、自分の本音を包み隠さず開放することなんですけど。今はそれが怖い。普段はできてたんですけど、今は怖い。本当の気持ちをそのまま言えない状況に、自分で自分を追い込んでるんでしょうね」と、詩瞬期到来、とばがりに先輩方に本音を打ち明け……同席していた先輩方の答えは、満場一致で「今を生きろ!」でした。
過去も未来もコントロールできない。だからこそ、今なんだ! と言うことを、村田さんの哲学者の視点と、心理士のラスカルさんの視点、そして「つながり」の師であるフルさんの視点から伝えて頂き、自分に正直になれました。ラスカルさんは「今の君の姿勢は『死に哲学』だよ」と指摘してくださったあとに「『生き哲学』に換えなきゃ!」と背中を押してくれた上で、「できることを増やすよりもまず、「できないことはできない」それに合わせてみなよ。大切なのは、何が「できない」のか? を自分が自覚しているかどうかだよ。無理はすんな」と。
で、僕は夢をあきらめることができない旨を伝え、アクションし、今があります。そのあと、ノリでかけこみ亭に流れた哲学家の村田さんは「すべてのものは「ある」けど、んなもん、同時に「無ぇ」んだよ」と、0と1と偶然と必然のつながりについて語ってくださり、僕なりの考え方を述べ、結果「わかってんなら、そうしなよ!」とまた勇気を頂いたり。自分に正直になるというのは、自分を正しく見つめ直すってことですね。学ばせて頂きました!たまたまかけこみ亭で知り合ったくわはらさんには、一緒に歌いながらコード理論を教えて頂き、「Cというコードのあとに行けるコードが決まってくるなんて、それは将棋の駒と同じなんですね」って、リアクションをしたら村田さんも交え、思考の枝の話になって、いやぁ、面白いなぁって。コード進行だって無理したら、不協和音が生まれるんだって気付かされ、自分の歌を歌おうと思ったんです。自分で歌う歌を決めようと。みなさんと話せ、オセロのコマがひっくり返るみたいに、ガラリと180度、生きる姿勢を元通りひっくり返せました。ありがとうございます。
今月24日には、ラスカルさん&村田さんのご依頼により、立川のサンキューハウスさんにて、古さんとのコラボランチライブが決まりました。フルにO(ラブ)ってきます!
植岡勇二
「オレ、真っ黒だけど、キミが好きだよ」/即興詩人・勇者ダイヤモンド(AIUEOKA) 即興コラボライブ@野外フェス・里山アートピック(埼玉・皆野市)