中島みゆきの糸が紡ぐ効率化
自分のテーマとしてずっとあるのは、実はある意味、「効率化」なんです。ゲームプランナーとして、本質的に生活のシステムを改善するにはどうすればいいのか? を、自分へエコロジー(生態学)として問う、というか。
筋トレを始めても筋肉がつき始めるのに数カ月かかるように、カラダというものはすぐに変わりようがない。で、心というものは考え方次第で一瞬で変わるわけですが、行動というカラダの習慣を変えない限り、それはなかなか定着していかないのも事実。自身も体験も含め、ひとは、心と身体の二面性に悩みがちだと思っています。それもあって「一期一会の詩の部活・ポエ部」でも、「詩は何か? 詩人とは誰か? そして作詩とは何か?」というテーマを通じて、よりフラットな人間関係の楽しさを伝えるため、つまり社会に効率よく影響を与える手段として、それを企画内容に落とし込む訳です。作詩を25年継続してきた僕なりの考え方を通じ、実際に手を動かしてもらいながら、みんなとワイワイやりながら、ワークをこなしていく。
で、二時間後には、詩の技術においては、部長である僕と同レベル以上の詩を書いたり、朗読してもらったり、二次会のライブ会場でライブを実現して頂き、現実的に詩人になって貰っちゃう。プロの作家の方の中に、「小説家になるには、技術も資格もいらない」と口にする方も多いですが、それと同じ法則を、僕は主観的に部員さんに伝えることができる、ということかと思っています。
少なくとも「詩」ならそれはできる。「詩」という視点であれば。日本の詩や小説は日本語で書かれていることが多いので、普段日本語をある程度使える人であれば、いきなりそれが叶うわけです。
で、「ポエ部」では、なぜいきなりそれが叶うのか? ということを、実際ワークショップを通じながら体験してもらうというのがポイントでした。
過去があって今があり、未来がなるなら、時間の仕組みとして、すべての物事はつながっていると思うから。そのすべての「つながり」を「詩」であるという視点に変換する方法を部員さんたちにお伝えする。つまり部員さんの認識のバイアスを、「私」から「詩人」に換えた、というだけなんです。 作品やライブイベントにてお金を頂こうと思ったら、お金を支払っていただいた対価に見合うだけのものを受け渡しできたらと、僕は基本考えています。例えばYouTubにて動画を再生するなら、なぜ再生したいのかという視聴者の欲求に見合ったものを提供できなければ時間という対価は支払わないわけです。今のところ日本のYouTubeはそこまでクオリティーの高い動画を求められていないのが利点です。これは、組織力のある人たちがチャンネルに参入してきてるので、半年後にはがらりと変わっているかと思いますが、少なくとも僕は、それをある程度ひとりで量産していこうと思っていたわけです。そんなわけで、今回、自分のチャンネル「PoeTube」にドロップしたカバー曲「中島みゆき:糸」ですが、以前ローガンズ というバンドのライブに行ってその歌を聴いて感動し、どうやっても音程が取れないし原曲をほとんど聴いたことがないしで、Bメロもサビの後半から他の歌に切り換わるという始末でしたが、そういうことをありのままに表して行けたらと思うんです。
上手い下手で言ったらアウト。
正しい正しくないで言ったらアウト。
まぁ、お金にもならないでしょう。
フリーだからできることだと自覚しています。
でも、少なくとも僕の中では笑えたらセーフなので、この作品を動画としてYouTubeにアップする権利があるわけです。今のところは。今後は、YouTubeの運営側のクオリティーに見合わないチャンネルの伐採が展開するかもしれません。つまりGoogleの方針と合わないものはチャンネルさえ持てない方向性に変わっていく可能性が懸念されている。
つまり、日本の政治の仕組み、選挙の投票と一緒なんです。
ある意味、メディアも政治も人を映す鏡、みたいなものかと。
Google側の方針を作り上げているのは、消費者の意識の影響もないわけは無い。同時にGoogle側の方針が消費者の意識に影響与えないわけもないわけで。
その両方に携われるのが、クリエイターであると、少なくとも僕は思っているので、僕は僕の良心に従って、自身で最低限い良いと思えるものを発表し続けるのみです。
それが、いち社会人としての職業意識。
つまり、生活という経済活動も込みでの政治参加だと思っています。
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