多和田葉子さんたちのリアクション:即興ライブ「ぴ」/「ぼくのことば、ぼくのくにたち」
おもに三年前から、ものすごくコアに関わりはじめた国立市。
自分の中の国立のイメージは、ハイセンス&スクエアだったんですけど。
ここ数年、違う一面がどんどん見えてきて、すごく面白いなぁと思えてました。
それは、国立市こそ日本の最先端の街なのではないか? と思える、もろ人間臭い混沌さ。そういうものを同時に許容・内包できる、この街が面白いなぁと思えてきたんです。団地の軒下にピアノを置いてある、いつものフリースペースで、心の師とあおぐ古さんと、今回の多和田さんの朗読会『わたしのことば、わたしのくにたち』について感想を言い合いました。
共通した意見は、今回一番良かったのは、この朗読会の『器』の部分です。
「詩の朗読」や「社会風刺」「ディベート」などと、朗読のジャンルが限定されていないから、みんなの前で想いを声に出せば、それがどんな内容でさえ「朗読」というデッカイ『器』に収まる。カテゴリによって区分けができると、その区分けについての批評になるのは、ホントナンセンスですよね? とお互い同意し。
本来、良し悪しの判断基準であるはずの「美しさ」についてのみ、本質的に感想を言い合える。
で、そうか! これからは僕やってる即興は『詩の朗読』ではなく、『朗読』って言っちゃえばいいんだ! と、自分のやってる事のレイヤーを、自分に対し明らかにすることができた。将来の選択肢として、海外への移住も考え始めていたので、自分の可能性を確かめることも含めて参加したワークショップでしたが。。
やっぱり僕は、ここ、国立にいることが大好きなんだなぁ、ということがわかって良かったです!
話のついでに古さんに、「将来海外移住も考えてます」みたいな話をしたら、「すごく柔軟なことだから、それはいいじゃないか。とりあえずいろいろ見てきなよ!」と言ってくれる感じも、また幸いでした。それも込みで、先日、画家・小堀令子先生の展示会のパーティーで展開した即興ライブのように、自分「身体の特性として詩人」って定義にしてきたんですけど。
やっぱりアート=感じる事=詩人って意味で、みんな詩人だし。
『詩人』って言葉を選んだ時点で、他人にこちらが予期せぬイメージや先入観を与えてしまう可能性もよくわかる。だからこそ「何のプロ?」って自分に問うた時には、やっぱり最終的には「生きるプロ」だよな、と考えるようになってきたのかもしれません。
だからこそ、誰かに働きかけること:働きかけられることを、諦めたくないんだなぁと思いました。
伝えることを、諦めては、いけない。
ぴ
多和田葉子さんたちのリアクション/即興ライブ『ぴ』・「わたしのことば、わたしのくにたち朗読会」@くにたち市民芸術小ホール