デジタルzin!ポエジン『宇宙塵』/即興詩人・AI UEOKA

即興詩人・AI UEOKAによるデジタルzin! 雑多な芸術・らくがき日記。

言わずと知れた天才・馬野ミキ&名倉哲

前回紹介した天才・詩人の蛇口さんは、「世間には天才がたくさんいる」と言っていた。
同感。僕の周りにも天才がたくさんいる。

天才を紹介するシリーズ第3弾として、今回は、馬野ミキさんという歌手にして詩人の方と、東京・静岡にて、手づくりの品を出展する市・『手創り市』を展開する名倉哲くんを、勝手に紹介したい。(勝手もいいところである)

ミキさんは、僕が一回戦敗退したポエトリー・スラム・ジャパン2017東京予選Bの優勝者であり、前年の大会でも全国大会にコマを進めている。

という一般的な説明では、ミキさんのすごさはイマイチ伝わらないと思うので、内的なエピソードにいきたいと思う。

以前ミキさんにこんな質問をした。
「ミキさんはどうして歌や詩をつくってるんですか?」と。
するとミキさんは、
「中学の時、先生との面談時に、「世界中の男をぶっ殺して、世界中の女とやりたい。もしくは、世界中のみんなと仲良くなるための何かをつくり出したい」って言ったんだよ。その頃からつくることを意識している」
というようなことを返答してくれた。
「もちろん、しょうがなく、でもあるけれど」
と、いう括弧付きの台詞を添えて。
僕は、
「それがつくれたらノーベル文学賞ものですね」
と返した。もしそれが実現されたなら、間違いなく受賞できる気がしたから。


ミキさんのスケールはでかい。
僕がはじめてお宅にお邪魔した時には、奥さんに、
「ペヨー太くんも家族みたいに一緒に暮らすのはどうかな?」
と、いきなり提案したりしていた。
「周りにひとりぼっちがいるなら、放っておきたくないんだよ。でもそれは、自分よりもひとりぼっちな奴が許せないだけなんだけどね。俺もひとりぼっちだから、そいつのひとりぼっちっぷりに負けたくない」


ミキさんの作品に、こういう内容の詩がある。


「子供の晩年より」



例えば百メートルを8秒で走ったら、
愛されるかと思って
注目のスターかと思って
7秒9で走ったら

まわりには
誰も、いなくなって、

真夏の運動場には
雪と桜が同時に降ってきて、








見上げた。







詩集 馬野ミキ「子供の晩年」 より引用
https://www.amazon.co.jp/dp/490500022X/ref=tmm_pap_swatch_0?_encoding=UTF8&qid=&sr=

ミキさんの孤独を見事に表わしていると思う。


そんなミキさんは、今回のポエトリー・スラム・ジャパン2017で全国大会を勝ち抜き、パリのワールドカップで優勝することも視野に入れているという。
その理由の中には、「世界を変える」という使命感が込められている。

ここからはミキさん(正確には、蛇口さん、チン・リーさんと共著)のWEBマガジン、『詩と惑星』から言葉を引用させ頂きたい。



欧米のいい感じの方々は
欧米に追従する 経済大国日本ではなく
日本独自のアイデンティティで、
俺たちの作ってきた世界を壊してほしいとおもっいるのではないか
彼らはもう自分たちの問題を、自分たちで解決できないのではないか


移民問題、宗教対立、人種とは何か、世界中ですられたお金はどこに行ったのか
彼らは困っている
本質的に言えば日本人たちはそれをスルーしている
アベ死ね トランプはクソ
お前らの「和」とはそういうものかJAP
欧米人が困っているときに、アジア人は彼らを助ける能力がないのか


ヨーロッパのブランド品を自慢するくらいしか脳のないクソのような日本人
でも 俺は、あると思っている
俺は日本人には、力があるとおもっている


思いでつくりのためにフランスに行きたいわけではない
世界の詩人たちと交流を持ちたいとかのんきなことを言うつもりは無い
小さな日本の詩の朗読の世界でちやほやされるためにいくのではない


言語により
世界を再構築をするために
俺はいくんだ


新しい神話を作りにいくんだ 



『詩と惑星・2017年1月31日・神話』より引用
http://blog.livedoor.jp/poetryplanet/archives/69038825.html



話しは少し逸れたが、そんなミキさんと並べて紹介したいのが、『手創り市』主催の名倉哲くんだ。
それは、先程ミキさんの台詞に出た「世界中のみんなが仲良くなれるなにかをつくりたい」を、ミキさん同様、実はもう自分の足もとから始めていると、僕には思えるからある。

東京にまだひとつもなかった手づくり品の市場を、2006年から雑司ヶ谷で展開。数年後、そこから波及するように、東京都内に止まらず、全国的にクラフトフェアが増えていった。同時に、ものをつくるひとの人口も増大していったのは言うまでもない。今では、手づくりの商品を扱うサイトさえ膨大に増えている。
もちろん、手創り市が雑司ヶ谷で開始する数年前から、クリエイターブームのようなものはあった。その波の相乗効果もあるだろう。

しかし、名倉くんはこの現象を狙っていなかったのだろうか?


(ここから先は、僕の空想・妄想?的な話しになるし、事実と必ずしも一致するかどうかはわからないものとして聞いて頂きたい)

僕は「狙っていた」と考える。

以前、ライターをさせて頂いた『ARTS&CRAFT静岡』 のルポにて、僕はこんなことを書いた。それは、社会科学者であり哲学者のエーリヒ・フロムの著書「愛するということ」を引き合いに出し、真に人が愛し合うには、社会構造の変化が必要になるが、その構図を一足先に実現しているのが『手創り市』という場である、というようなことだ。

http://shizuoka-info.jugem.jp/?eid=614
(2014春季A&C静岡開催ルポ:前編・1部)

スカイ・クロラ』や『すべてがFになる』などの作品を書いた作家・森博嗣も自身のエッセイの中でこんなことを言っていた。(残念なことに、今、手元にその本がないので記憶を辿りながら書くのだが)

もっと多くの人がものづくりをしたら世界は変わるかもしれない。物事の価値が、どれだけいいものをつくるか? という交流になっていけば、戦争はなくなるかも知れない。

というようなことを書いてもいて、それを見つけた時、名倉くんも、遠からず似たようなことを考えているのだろうな、と再度、思ったこともある。それが、僕の名倉くんに対するイメージなのだろう。もちろん、もしそれが当たっていたとしても、当の本人は性格上、それを表面化させないだろうけれど。


植岡勇二