デジタルzin!ポエジン『宇宙塵』/即興詩人・AI UEOKA

即興詩人・AI UEOKAによるデジタルzin! 雑多な芸術・らくがき日記。

詩集「そりゅうしのうた」・著作権、帰還

マイナビから出版していた僕の詩集「そりゅうしのうた」。
二年目の自動更新を取りやめ、出版契約を解約しました。


理由はシンプル。著作権を手元におき自由に作品を使いたいというのが主。
近い将来、自分のレーベルから加筆修正し再販したいなと。


買ってくださったみなさま、ありがとうございました! 




AIUEOKA

雪の谷間から、ラブレター



「お元気ですか?」

テストの裏に落書きされた、松田聖子です。
岩井俊二の映画・『ラブレター』、最後のシーンと同じセリフではじめます。

「わたしは元気です」



最近、フェイスブック含め、SNSに時間が全然つくれていないので、ツイッター・インスタなど、一旦すべて解約しはじめています〜。



当たり前ですが、僕がSNSをやっていないからって、僕もみなさんもなんにも変わるはずがないので、今後とも変わらずよろしくお願いいたします! 


就職もいいお返事を頂いているし、色々と状況も整いはじめています。リハビリはもうすぐ完了しそうです。たくさんのおまけつきで。


僕の近況は変わらずこのブログにて、UPできる限りUPしていきます。基本、ネットもSNSも、大好きなので!


現在、何らかの形で海外を視野に活動を展開する方向で動いています。同時に、毎日を淡々と楽しく暮らしながら、過剰に「普」遍へ「通」じる旅を続けていきます。ステレス機のように速く伝達し、かつ、空気抵抗のないコミュニケーション能力を手に入れにいきます。


つまり、根本的には昔から同じ。内側はなんにも変わってませんね。。
過剰にアホなんです。



では、夢に風穴が開いたこの世界で!
また遊びましょ〜




AI UEOKA

アートプロジェクト・『ひかるドブ川』

木工作家の宮下敬史先輩が『千鳥』という器のお店にて、今年も二人展を行いました。
お相手はガラス作家の西山芳浩さん。

昨年にもまして、気付かされたのは、そこにある「作家の現実」でした。

宮下さんは、僕の一番解放された形での自分が出せる先輩であり、他の人には通用しないであろうイキスギくん的ギャグも、余裕で乗ってくれて面白がってくれるのが、ものすごく楽。

何度か宮下さんの仕事の絡みで、ギャラリーやカフェに遊びに行きましたが、宮下さんは誰に対しても正直で、相手に合わせて言葉を選ぶのが上手い。


たぶん、周りよりも自分が強いことがわかっているんでしょうね。

「作家を始めようと思います、大変ですか?」と言うような質問には、毎回、「大変だから、やめたほうがいいですよ」と、正直に答えたりするところも目から鱗
それをギャグ的な音(声)で発信し、いろいろなものを中和し、安易に闇にしないところもニクイ。

宮下さんには日頃、

「結果が出るまで辛抱」

「自分のポテンシャルは自分にしかわからないから、相手になめられても辛抱」

「作家として生きていくのはサラリーマンより辛い。でも、作家でしか生きられない」など、色々とお話を伺っていました。

宮下さんと普段話すのは、もっと時間やお金があれば、とことん作品の完成度を上げにいけるのに、やはり時間やお金がないから、仕事としてどこかで切り上げなければならない。それは当たり前のことだけど、自分のやりたいこととの乖離を感じる、といった話です。


今回、西山さんとの二人展で作品を拝見しましたが、大きなサイズの一点もの、高額の作品に込められたテンションと、中位から小さいサイズの量産された作品を比べると、後者には、その八割位のテンションしか感じられず、それについて宮下さんにお話を伺いました。

僕の質問を受けた時、宮下さんは、何かをぐっと堪えるように噛み殺した後、

「ある程度で手を止めること」

「作品それぞれに技法があり、それによりサイズや時間の制約の壁を抜けること」

「もちろん、小さいサイズの作品の中にも、同等に良い作品もあること」など話してくださりました。

そういった目線で眺めると、やはり、小さいサイズの作品の中にも、同等のテンションを感じられる作品が多数あり、自分の鑑賞眼の幼さにも気付くことができました。


作家で生活するという事は、作品を作ってお金をもらうことであり、お金をもらうという事は、約束通り時間内に作品を仕上げるということである。

その制約の中で、たとえものすごいアイディアが閃き、あと十時間欲しい! となっても、それは許されない。

なぜなら相手からお金を頂くことで成り立つ、お仕事だから。

作家はクリエイターではあるが、アーティストではないから。

もちろん、僕にとって宮下さんは、アーティストでしかないのですが、現状、アーティストとして生活が成り立たってはいないので、結果、クリエーターという言葉でくくられる羽目になる。

そこにある葛藤を、宮下さんは、現実として引き受けている。

千鳥の初日に、海外からお客さんが訪れ、たくさんの作品を買って行ったと聞きました。

目的は転売であるであろうとのこと。

三倍以上の値で転売するのではないかといった話です。

もちろん宮下さんはその状況に対し、安易にNOとは言わない。

創作で食っていくという事はそういうこと。
その当たり前の現実に向き合うために、今回、千鳥に行ったような気がしました。

最近、人の「強さ」について考えていました。

そして出た答えは、自分の中の理想にたどり着くことが強さではなく、今、目の前に起きている、ありのままのネガティブな現状を、ありのままに認め、受け入れる強さがあるということだと知りました。

それができない限り、理想へと向かう階段なんて作れない。
そして何があっても、階段をつくり続ける方は、強い。

千鳥の裏には、ドブ川が流れ、水面には昼下がりの日差しが輝き、ゆれていました。
この風景が、僕と宮下さんの現実だと思いました。


同時に、芸術をお金に変えるのは、今の僕には難しい。
良い作品を作ろうと思ったら、ある程度の自由が最低条件になるから。


ゆえに、最近は、作家活動は基本仕事でしないことにはしています。
以前詩集を発行した、マイナビ出版との契約更新を行わなかったのはそのためです。

すでに何人かにはお伝えしてありますが、実は、僕は僕自身のアートプロジェクトとして「就職活動」を行っています。
ゆえに「就活」が楽しくてしょうがありません。

そして一番良いのは、(完全な逆説ですが)自分自身、就職活動を全くアートプロジェクトだと思っていないこと。自分の表現として、かっこつけたりしながら就職活動を行っていないことです。

ただ真剣に、就活しているだけです。


作為のない作品にこそ、詩が宿る。
そういった良さが、このアートプロジェクトにはあります。

そして僕は日々、美しい時間を創造するアーティストたちとともに、就活をしているのです。



アートを生み出すのに自由が必要ならば、逆に、自分が自由にアートを定義することだって許されるはず。

ならば、感じること全てが、アートとして感じられる詩人という生き方においては、そういったことが可能となるかと思うのです。



一般的に詩人とは、詩を書く人というイメージがあります。

が、詩に精通している方の共通の意見となりますが、そもそも詩人であれば書く必要などは無いのと、僕も思っています。

谷川俊太郎さんが、「自分は詩人ではない」と公言しているのは、そこにあるかと勝手に思っています。そして詩人である僕から見たら、そんな谷川俊太郎さんも、紛れもなく詩人としてカウントされるのです。


なぜなら僕にとっては、周りの皆さんが、全て芸術家に見えるからです。

万物は世界のメタファーである。

と言うゲーテの言葉がありますが、僕にとって、皆さんの全ての言葉が、詩に感じられるからです。


カタワラノ永遠を一緒にやっている織田さんは、僕のこの考え方を伝えた結果、哲学者であるハイデガーの論文を引用しながら、教えてくださりました。


感じると言うこと自体がアートであり、感受性はすべての方に備わっている。

ゆえに全ての方は詩人です、と。


僕もやはりそれに同感です。


なぜなら、「感じる」、と言う事は、それ自体、受信でありながら発信であるからです。

そして詩人は、感じることによって世界を創り変えることができる。

もちろんこれは、主観によって感じているこの世界の感じ方を変える、という意味を出ませんが。



今日たまたま、使う言語や語彙によって、世界の感じ方が変化し、結果自分の世界が変わるという科学的な論文を読みました。


サングラスをかけたことがない方に、サングラスをかけた状態を想像させるだけの発信能力は僕にはありませんが、詩人であるということは、大体そういうことかと、僕は思っています。





勇者:ダイヤモンド

ステレス・ストレス・クリーニング・ボーイ


昨日は、世界的に活躍されているアーティスト、池田一(いけだ・いち)さんのトークショーに行ってきました。

今度の月曜日に、僕ら「カタワラノ永遠」もライブをやる、「東京創造芸術祭」でのイベントです。

現在、その会場にて、芸術とゲームへの自分なりの解釈を展示物を通して示すゲームをやってます。




インスタレーションゲーム・デビルマンオセロ:イメージ画」


さて、今回のスピーカーである池田一さんは、1995年に、国連が、五十周年記念アートカレンダー[The Message: We the peoples...]を作る際、「世界の12人のアーティスト」の一人に選ばれたアーティストでもあります。が、日本では基本、無名の方です。

僕は、音楽家のススムヨコタさんが大好きです。が、日本では知る人ぞ知る的な感じです。
ちなみにススムヨコタさんは、ビョークレディオヘッドトム・ヨークなどにも、かなりリスペクトされています。


さらに、そこら中で、無名の世界チャンプたちがランドセルを背負って学校に行き、天才っぷりを発揮しているのが詩の日常です。

ヘルマン・ヘッセは、処女長編小説「郷愁」にて「神話の神々は、毎日、子供たちの魂を通して創造している」的な言葉で、物語をはじめたりもしています。


昨日も、集まったお客さんは、関係者以外で一人。
会場には、他、池田一さんとつながりのある方が三人。

トークショーの進行役・インタビュアーである、カタワラノ永遠:織田さんが、この状況について、「どう思いますか?」と、池田一さんに尋ねました。

池田一さんは、「日本と自分ではレイヤーが違うから、これは良い状況だと思います」と答えました。
世界で活動するという事はそういうことだよな、と、その返答に、清々しさを覚えました。


僕自身、自分を活かせる場所で生きることを選択する時期が来ていたので、ま、そっちの方が楽だなと、正直思いました。もちろん、未知のストレスは増える可能性はあるという前提で。

でも、「楽」と「楽しい」は、明らかに違うので、そこはじっくり考えます。

冒頭、池田さんが、作品や芸術という言葉に、不快感や違和感を覚えていると言っていて、そこもいいなぁと思いました。

道を具体的に具現化するのが「道具」の意味。これは僕の持論です。
僕も、自分の言葉や作品は、道を開くための道具だと考えていたので、同感でした。


そして基本、「作品」や「芸術」という言葉を使うときは、相手がそれを使っているのを確認した上で、カウンターとして使います。「健常者」・「障害者」という言葉を使う時も、基本カウンターです。

他はたいがい、相手との間をつなぐ道具として、言葉を選びます。
(時に、選択をミスりもしますが)

次に、池田さんは「見立て」という概念について語られました。

「見立て」とは、日本庭園の石庭などにみる、枯山水置石、または盆栽など、表したい「何か」を、凝縮 ・ミニチュア化し表現する手法や仕組みのことです。

「見立て」という手法は、日本唯一のものであり、それが、自分のプロジェクトを表す言葉に当てはまるだろうと、池田さんは伝えてくださりました。つまり、その「見立て」の話自体が、池田さんのやっていること・アートプロジェクトを表す「見立て言葉」です。


それを伝えたくて、僕は、自分なりに、「詩」についての考え方を語りました。

詩とは何か?

自分と対象との間、つまり、関係性の中に浮かび上がる「何か」のこと。

そういった意味で、「秋」という言葉自体は、「見立てのミニチュア」であり、「秋」と「私」の間には、夕焼けや赤とんぼという「詩」が浮かび上がる。

それが、僕の「見立て観」です、とお伝えすると、池田さんはこう返答してくださいました。

「もちろんそれはわかります、あなたの言っていることも合っています。でも、今、話している「見立て」は、 厳密にいうと違う事柄を指します」

この会話を通して、僕は状況を「見立て」、一旦突っ込んで話すのをやめようと、身を引きました。
もちろん身を引くのは、池田さんの引き出しをのぞくためです。

その前の日に、主宰者の河合さんに、数分間で池田さんの活動の概要を伺い、上野の不忍池を作品化したプロジェクトの話を教えて頂きました。

そしてその際、「多分僕は、詩人という立ち位置から、何も作らず・何も設置せずに、世界を作品化していくんだと思います」と、河合さんにリアクションしました。

今現在、僕は映像で詩をつくっています。
人はたぶんそれを、ドキュメンタリー映画とか、映像作品と定義するかと思います。
そう解釈される方には、僕もそう答えます。
もちろんそこに不快感はありません。言葉や名前は、伝え合うためにある道具だからです。

僕という詩人が、主観として世界をどう感じているかということを伝えるために、今年の5月24日に、約二時間、動画撮影しました。近所の半径300メートルで、その二時間の中に、ものすごく色々なことが起こります。

そこで展開された時間の不思議を、今、映像で形にしています。
世界の作品化を表す、シンプルな伝え方として。

と、池田一さんにもその話をしようとして、一旦、身を引いた、という展開です。

次に、池田一さんは、ご自身のメッセージを置き換えるときに媒介している、「水」について語ってくださりました。

例えば、「川」についてのアートプロジェクトのお話を展開された際には、「川は国を超えて流れる」「人は、川の水は見るが、川の全体を見ないことが多々」など、川と人との本質について語り、そこから、実際池田一さんが「川」という媒体を通して、何を? どうしたか? という話に流れ込んでいきます。

例えば、地域や名前によって区切られた、長さ5キロ程の川があるとして、そこでアートプロジェクトを行う際には、まず、池田一さんは、川に出向き、川を一番理解しやすいポイントを巡ると言います。

それは、川の本流をつくる、川の枝の根元にあたる「合流地点」です。

その30カ所以上の合流地点、全てを、まず池田一さんは、くまなく見て歩きます。

「芸術」の定義は、一般的に「感覚の交換」といわれますが、池田一さんはアーティストとして、その川そのものをメッセージに換えるために、川と感覚の交換を試みたのだな、と僕は考えました。

僕が質問します。
「それを行った結果、池田さんに何を感じたんですか?」

池田さんが一言答えます。
「川と出会えました」、と。


僕は、川との出会いを果たした池田さんが、それをどのように現地で表現したのかを、実際現場で感じたかったなと思いました。が、このトークショーだけでも、それが感じられたかのように思えたので満足でした(もちろん今も、情報を後追いする気はありません)。

池田一さんの言葉には身体性がある。
それが、池田さん発コミュニケーションの、伝導率を創造しているんだなと思いました。

あっという間の二時間の後、池田一さんのトークショーは、意外とあっさり終わりました。
今回、池田一さんのコミュニケーションや、織田さんの質問の鋭角さはアートでした。
が、アートプロジェクトを行う際、プランや形式にこだわらず、即興で場を作ることをやっていらっしゃる池田一さんという「水」を活かせるのは、やはり池田さん自身でしかなく、トークショーの最中に、川が合流することもなければ、河口も海も生まれない。

でも、その感じもまた、このイベントを「見立て」るには、いい材料でした。

で、トークショーが終わった後に、僕は感想として以下のように述べさせて頂きました。

「ホロンという概念があって、それは、個は全であり、全は個である、という考え方です。ひとつのものは個としてあり、それが全体としてつながっている。そして互いに響き合う。そういう構造が、僕は大好きです。もちろんそれは、日本はAV動画の文化が発達してて日本には女優の方がいる、ゆえに、日本人の若い女の子全員がビッチである、とかいうアホな偏見的構造ではなく、AV女優の方にも、いい人が当たり前にいるのは、当たり前過ぎる話です、という種類の話を指します(僕がここでいうホロンは、全体は個人に還元されない、個人を拡大しても全体が見える訳ではない、というホロン構造です)」


「 僕は普段、このホロンの考え方を軸に動いています。 僕は日常的に、いろいろなコミュニティに顔を出しますが、どこにも属すつもりはなく、自分自身が「川の合流地点」となって、個人として動き、全体を見渡しながら、つながりの波紋を広げる。いろんな方に出会い、情報を頂き、それを自分なりに加工し、合流地点そのものをバトンに変え、また違うコミュニティへと移動し、そのバトンを渡し、情報を混ぜ合わせる、それが僕のやっていることです」

つまり僕は、文化的遺伝子ミームを運ぶミツバチみたいなものなのだと思います。

その感想を聞いた主宰者の河合さんが、

「それって自分の宣伝じゃん」って、笑ってくれたのが良かったです。

最近、僕は、誤解されることが嫌ではなく、むしろ誤解のメカニズムに、ものすごく興味があります。ゆえに僕は、誤解を恐れません。

誤解を受けることによって損をするのは当たり前の前提で、自分の言いたいことを、時と場合によっては、相手の迷惑にならない範囲で、相手との境界線を「見立て」、敢えてギリギリのラインを攻めたりすることも、たまに、あります。

するとどうなるか?

相手が何をどう誤解するかによって、相手の認識の文脈や回路、価値観が見えることが多々ある。
相手の思考回路の枝が見え、そこに、人の深い部分での文脈や、自分との関係性が見えてくるのが、実は面白いんです。

そんな訳で僕は、互いの誤解を大切にしています。

そして、この人になら話は伝わるなという人には、誤解を解きに行きます。
で、そもそも僕は、関わる人、ほとんど全ての方に対し、タイミングの許す範囲で誤解を解きに行きます。

僕に限っていうなら、僕が他人を誤解する時は、大概、限られた情報の中で物事を判断してる時です。情報が少な過ぎる時。


今回のトークショーにて、池田さんが全体を捉えることへの大切さについて、

「全体を知るには、水の視点で360度から川を取り囲むように物事を見る。波紋の外から、円周をたどる」

と語られていて、 僕と情報の集め方が近い方だと思いました、と池田さんには、お話させて頂きました。

僕も普段、可能な限り、あらゆる角度から情報を集め、いろんな視点から物事を見ることを心がけるようにはしています。

つまり、いろんな客観を集めて、主観に至る。
つまり、それが「人脈」です。

でも、一番対人関係において良いのは、直接、客観であるご本人に、いろんな話を聞くとです。ゆえに、相手と一緒にいる時間こそが大切なんだと、つくづく思います。

そういったことを、大枠で、池田一さんも同じように感じていたのを知れたのは、自分のことを知るためにも、すごく良い機会でした。

もちろん今の僕は、逆立ちしても、今の池田一さんがやられている規模での活動を成功させるだけの実力も経験もありません。そこはゆっくり基礎をかため、階段を一段ずつのぼりたいと思います。

ここでひとつ、問いが立ちます。

なぜ僕は、日本にこだわるんだろう? と。
たぶんその答えはシンプルで、「楽なゲーム」よりも「難易度が高くとも、楽しいゲーム」が好きだからだろうな、と、さっき思いました。

今は、単純に日本で、僕自身のアートプロジェクトとして、家族や周りの好きな人たちが喜んでくれそうなことをやりたいのだと思います。


例えば、甥っ子たちが喜ぶことをやりたいなと思った時には……

現在、どんな表現活動よりも、清掃の仕事が一番楽しい。
それは同時に、僕の表現活動であり、ゲームだから。
で、そこで得たことを活かし、こんな漫画を考える。

清掃を哲学しながら掃除をしていく清掃員を主人公に、彼が、世界一ハイスピードに掃除をこなす清掃員に成長していく過程を描いた「ステルス・ストレス・クリーニング・ボーイ」という連載漫画企画を、週刊少年ジャンプに持ち込もうかな、とか。

そしてこれは清掃の極意ですが、最も早く清掃を終わらせる方法、それは美しい環境を保つこと尽きます。
すると、掃除そのものをしなくてもいい、という現象さえ起こり得るからです。
(ちなみにこの例えは実話です。以前僕は、環境衛生講習の講師の方が、実際、微動だにせず、視線だけを部屋中に走らせ、3秒で清掃を終えるのを目の当たりにしたのです。その瞬間、清掃の極道へと、僕は歩きはじめたのです)


それについては、今回の展示会、「デビルマンオセロ」にて、文章のパネルで展開しています。
そんなことを自由にやらせてくださる東京創造芸術祭のようなイベントこそ、ずっと秘密にしておきたいお祭りであり、最高だったりするなと、今回も思いました。

そして、そういった秘密の祭りは、世界中で日常的に行わています。
僕の住む団地でさえ。毎日。そしてそれは特別なことではない。
それが僕の、「芸術」への解釈です。

ゆえに、誰が何をどう発信し、それをどう感じるかを、他人にデザインされることを恐れるのです。
ゆえに、インスタをやっても、フィルタも使わなければ、フォロワーも増やしにいかない。そして、SNSは基本後回し。

たぶんこの価値観は、池田一さんにも、伝わる気がします。


月曜日、ゲームの概念を壊しにいきます。
自分自身が、つまらないゲームに、はまらないために。





マイク・とうそん またの名を ミクロモアイ

即興ゲームライブ:『ドラゴン・ゲノム・クエスト&ファイナル・ミーム・ファンタジー』


みなさん、アロハ・ハワイ!

調子はいかかですか? 僕は、普通に元気です。

最近、ペヨー太という面・フェイズでは少し活動を控え、今後は『マイク・とうそん』という名のもとにやっていくことにしました。
『マイク・とうそん』という名前は、日本語即興詩の極みを目指す道に入ったことへの道標:シンボルです。


同時に、ゲームデザイナー『ミクロモアイ』としての活動も再開しています。
こっちが、人生の本文であり、本業です。
その一環として、日々、清掃というゲームを仕事にしようかと思ってます(これについてはまたおいおい)。


24歳の頃、ゲームデザイナーで食って行こうと、ドラクエ7のシナリオアシスタントの試験で二次までいって作品を沈没させたり、その後セガの顧問さんがクライアントになりゲーム企画の仕事をふたつくださり、ふたつとも形になにならず宙に浮いていました。

ですが、結果、色々なものが戻って来たので、それらをゆくゆくは形にしていきます。

ゲームデザイン。その第一弾企画が、これ!


カタワラノ永遠・即興ゲームライブ:『ドラゴン・ゲノム・クエスト&ファイナル・ミーム・ファンタジー


世界一かわいい思想家にして芸術家・Masafumi Odaさんとの即興ユニット『カタワラノ永遠』にて、ライブをやります。ライブにて、即興でゲームをつくってみんなでプレイ!



詳しくは、この『予告ゲーム動画』(約1分)を見て頂けたら、感じはつかめるかと思ます。
逆につかみ辛かったら、気軽に感想を教えて欲しいです! 
ぜひ、参考にさせてください!

即興ゲーム:インプロビゼーション・ゲーム・ライブの流れは、こうです。


1、いくつかのキーワードの中から、お客さんにひとつ、言葉を選択して頂きます。


2、僕ら二人が、そのキーワードをもとに、映像・音楽・朗読詩のコラボで即興ゲームをつくります。

つまり、お客さんがキーワードというボタンを押し、僕らを無意識にコントロールする仕組みです。

「プレイヤーがキャラクターを無意識にコントロールするゲーム」って、今までになかった気がします。


3、ステージの節目で、また、キーワード頂き、ゲーム展開を変え続けます。


4、ライブという制限時間内に、エンディングを迎えます。



2018年7月16日(月・祝)・『東京創造芸術祭』を、最先端のゲーセンに変えてみませますっ! くらいの勢いでやってます。

無料ライブになってますので、ぜひ気軽に遊びに来てください!


今後とも、見守って頂けたら幸いです。
よろしくお願い致します!



【 カタワラノ永遠 】

https://katawara-no-eien.tumblr.com/


即興詩&ゲームデザイン

マイク・とうそん a.k.a  MIKROMOAI

即興音楽&ゲームエフェクト

Masafumi Oda






【東京創造芸術祭】@なかのZERO

https://tokyopaf.wixsite.com/0000



2018年・7月16日(月 :祝)

17:00〜18:00

入場無料



即興でゲームをつくり、プレイするライブ。

キーワードというボタンを押して、

二人の即興:ゲームを、コントロールしてください。


同時開催展示会:『デビルマンオセロ』



白と黒・正義と悪・天使と悪魔・陰と陽など、オセロのコマのように背中合わせで同居する二面性。

インスタレーションゲーム・デビルマンオセロでは、二つの相反する価値観を、オセロのコマで戦わせる『思考ゲーム』を展示形式で展開します。



https://katawaranoeien.bandcamp.com/track/devilman-othello


2018年・7月8日・日 〜2018年・7月16日・月 :祝

ともに、なかのZERO・西館・美術館ギャラリー2(2F)にて。

(注・最終日は19時までとなります)





意識を変えるゲームの、オープニング。

エンディングのあと、何かが変わっている。





マイク・とうそん またの名を ミクロモアイ



作品・活動: https://ueokayuji.tumblr.com/ (自分地震
       https://katawara-no-eien.tumblr.com/(傍ら)
音楽: https://soundcloud.com/uepeyo (自分磁針)
    https://katawara-no-eien.tumblr.com/(傍ら)
    https://soundcloud.com/p-poem (古代歌謡)

DJ: https://www.mixcloud.com/ueokayuji/ (自分磁心)

イエス ダディ バイトに受かったら ユースキンを買うわ 初日はいつなの?

6月24日(日)

高円寺・彦六 馬野ミキ&喫茶東京鼠

銀河鉄道の昼:古代歌謡トーク&ライブ

『はたらくこと:生活からスピリットが生まれる』

ライブを終え、翌日に即興で歌い、形をまとめる。
娘? 夜空視点で、父を語る的な。



『イエス ダディ/マイク・とうそん』





エス ダディ

ヒールで角質が できてカサカサなの あなたは知らない



エス ダディ

バイトに受かったら ユースキンを買うわ 初日はいつなの?





好き 嫌い 充電器だけ

愛してる 持ってこないで



エス ダディ

温泉でもらった タオルが増えていく どうしたらいいの?



エス ダディ

冬にアイス食べて お腹が出てきたわ 調子が出ないね



好き 嫌い あなたのズルさ

愛してる お酒飲むとこ



エス ダディ

古いヘッドフォンの 綿が全て抜けて 鉄の塊に



エス ダディ

いつか団地にある ピアノにまたがって 二人で弾こうね



すきすきす〜 巨乳大好き

すきすきす〜 細川ふみえ



エス ダディ

膝の上で猫が 今も聴いているの 私の録音



エス ダディ

動物病院が 高くて泣けてくる がんばり過ぎてる



愛してた ビートたけし

愛してる 松本人志



エス ダディ

眠くて瞳孔も 瞼も何もかも

開きはしないよ 開きはしないよ

ここには 音だけ

ジョバンニさんのドラゴン・ゲノム・ロード・クエスト


少年なのか?

少年のような大人なのか?

どちらにせよ、その子が膝を丸めて寝ているその隣で、ジョバンニさんも添い寝をしています。

その子は夢を見ているようです。

その子は、どこまでも広い海原の真ん中に、水平線に向かって、一本の道が走っているのを見つけます。



ドラゴン・ゲノム・ロード。



螺旋に伸びていく生命のプログラム・遺伝子は、どこか龍に似ています。


今日もドラゴンクエスト楽しかったな。

今日もドラゴンボール面白かったな。


そんなことを思いながら、眠りについたその子は、一番はじめの生き物になって、ドラゴン・ゲノム・ロードのスタート地点に立ちました。


生命の進化を競い合う、そのレースゲームに、参戦するのです。


ドラゴン・ゲノム・ロード・クエス
クリエイティブ・レース・ゲームに、
その子は乗り込みます。


その子は最初に、バクテリアになります。

その子は次々に変化していきます。


魚になったり鳥になったり恐竜になったりサーベルタイガーになったり。

そして、最高峰の体を手に入れます。


それがジョバンニさんでした。

ジョバンニさんは、どんな生命よりも、危ないくらいに進化していました。

ジョバンニさんは、ずっと昔から、同じ体の形をしていました。



ドラゴンボールの悟空が、死後の世界で龍の道をひたすら進み、たどり着いたのは界王星。

ものすごい重力に支配されたその星で、二本の触覚と、丸いサングラスをかけたジョヴァンニさんに、悟空は出会います。



そして、身体が全然思うように動かない、重たい重たいその小さな星で、力を3倍にしたり、5倍にしたりする戦闘方法を、悟空はジョバンニさんから教えて貰います。


そんなジョヴァンニさんが、みんなから障害者扱いされるのは、ジョバンニさんが、生命として自分の命を脅かすほどの危険性がプンプン匂ってくるから、かもしれません。


もしくは、テレビやネットでは、ジョバンニさんは害虫として、自分側にとっての障害、つまり障害者として扱われているからかもしれません。


もしくは、ジョバンニさん自身が、まわりを寄せ付けたくなくて、そういう信号を発信し、極力まわりを近づけないようにしてるのかもしれません。


でも、その子の夢の中にある、『ドラゴン・ゲノム・ロード・レース・ゲーム』では、どんな生き物よりも、ジョバンニさんが一番速いことを、ジョバンニさん自身、知っていますから、なんの問題もないのでした。





【ジョバンニさんのドラゴン・ゲノム・ロード・クエスト/第一部〜三部】
 https://soundcloud.com/p-poem/tracks (即興ラジオ音源)



そういうイメージをかきたててくれる、チラシのイベントに出ます。


チラシの絵は、歌手の馬野ミキさん。

今回のイベントの主宰者さんです。




銀河鉄道の昼」

http://blog.livedoor.jp/poetryplanet-ginga/archives/9738724.html


高円寺・大陸バーー彦六
夜の部喫茶東京鼠に
毎月最終日曜日に厳選したゲストと共にお届けする
歌手・馬野ミキさんによる企画。


彦六 http://www.ukuleleafternoon.com/hiko6/

喫茶東京鼠Twiiter https://twitter.com/tokyo_nezumi






13時オープン!

「古代歌謡」のトークショー&ライブは、

13時半スタート!

14時までお時間頂いています。



「生活からスピリットが生まれる」



今回、就活中の僕が、拓さんの魂の響きに支えられたが「はたらくこと」をテーマに、トークと詩の境のない即興朗読をさせて頂きます。



幸せで・いつづけることを・目標に。

生活の・安定目指して・就職活動。



【バタフライ・シンボル・エフェクト:古代歌謡の即興自己紹介】

 https://soundcloud.com/p-poem/symbol




ぺよーた


ツイート: https://twitter.com/uepeyo

ウェブサイト: https://ueokayuji.tumblr.com/

サウンドクラウド: https://soundcloud.com/uepeyo