デジタルzin!ポエジン『宇宙塵』/即興詩人・AI UEOKA

即興詩人・AI UEOKAによるデジタルzin! 雑多な芸術・らくがき日記。

ポエ部の教科書 「僕にとって詩人とは?」

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◆『即興=時間』について


『即興』とは、今この瞬間に生きることである。
『時間』というシステムにおいて、今この瞬間表した事(つまり生きていること)は、全てがありのまま表現されるので、全てがありのまま=パーフェクトな作品となる。
言い換えるなら、「編集が効かない」という意味で、変えようがない、不変のものである。
そういう意味では、「パーフェクトにしかなり得ない」。

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◆『作品=空間』について


少なくともこの世界は、僕には形のある世界だと認識される。「書く」という行動は、「編集」することが可能である。ずっと同じ詩を、1日8時間・365日推敲し続けることだってできる。

そういう意味では、逆に、即興の真逆であり、僕の命が続く限り、変更可能な世界であるという意味で、僕にとっての「書く事=推敲・編集」は、「時間の止まった世界」で行われる。

詩を書いた瞬間、それは形になり、固定されるが、言い換えるなら、逆に、いかようにも変更可能の世界なので、パーフェクトにはなり得ない。

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しかし、それを『時間』という「瞬間」の中で、つまり上記の『即興』として見たときには、逆にパーフェクトにしか表わされない。なぜならそれは、ありのままの「形」であるから。

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◆『詩人』について


つまり僕は、『詩人』としては、この、ふたつのフレームを意識しながら世界を眺めているのであり、『ありのまま=パーフェクト=不完全=完全』ということを認識しながら生きる、逆説的完璧主義者みたいなものです。

少なくとも、僕の中での『詩人』は、24時間365日、常に『詩』を感じ取る感受性のアンテナを立て、『詩人』という『フレーム』を通して世界を眺める人のことであると、考えています。

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脳科学での分野の、ある研究・実験結果によると、人間が、まわりの影響に流されず、自由に自分の行動を選択できるのは、瞬間的「0.2秒」くらいの幅しかないらしいです。その0.2秒を逃すと、過去に行動をコントロールされつづける。

人は、一日に約6兆個の単語を思考するらしいのですが、98%くらいだったかな? 昨日と同じ言葉で思考しているらしいです。

つまり、その0.2秒の中に生き続け、その集中力を持続させることができたら、自分で自分を変えつづけることができるし、昨日とは違う言葉を生み出せる比率も、自己意志によって上げることができる。

この0.2秒に生きつづけることを、僕は『自由(即興)』と呼んでいます。

まぁ、そうやって生きるのはなかなか難しいですが。

 

 

AIUEOKA

 

 (この文章は先日の詩の部活『ポエ部』にてお渡しした、最後のテキストです。写真は別件で、先輩への手紙を抜粋したものです。「西アフリカ」とは、芸術のひとつのジャンルのことであり、先輩がピカソをシンボルに芸術論を展開してくださったので、そのお礼状でした)


ゴット・ファーザー・ジュン/ラスト・エンペラー・タイム