デジタルzin!ポエジン『宇宙塵』/即興詩人・AI UEOKA

即興詩人・AI UEOKAによるデジタルzin! 雑多な芸術・らくがき日記。

オカエリ・トウキョウ・コラボレーション・コンティニュー/第三話 家族 : ぼくたちは かわることなく かわりつづける

 

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『サヨナラ・トウキョウ・コミュニケーション』主催の企画イベント、『オカエリ・トウキョウ・コラボレーション』。

このシリーズ記事の最後には、普段からお世話になっている『よしもとよしひろ』さんの文章で締めくくります。

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よしもとさんと僕の間には、一本の映画があります。
はじめてよしもとさんと話した時、話題に上がった映画のタイトル。それは『(ハル)』という90年代のマイナー映画でした。

この映画は、その10年後には日本でも支流となるネットの電子メールが、まだ『パソコン通信』と呼ばれていた時代の物語です。『(ハル)』では、当時、やがて到来するであろうと予想されていたコミュニケーション革命と、変わることなく変わり続ける人の姿が描かれていました。

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人が道具を創り換えるたびに、道具が人を変えていく。19歳だったその頃の僕も、同じことを夢想し、ひとつの小説を書いていました。
それは、パソコン通信を利用し、顧客の個人的なリクエストに合わせてゲームをつくるゲームデザイナーの青年と、その青年がつくったゲームをプレイし、光過敏(のちにTVアニメ『ポケモン』で有名な言葉になりますが)によって意識的に精神を飛ばし、火星と地球を行き来する女性の恋愛物語です。
実に、幼い時期にありがちですが、その頃、そういった意識のシフトみたいなものを本気で信じていたのだと思います。

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2017年秋、雑誌で読んだ記事に、主に哲学を学ばせたAIに詩を書かせるという実験結果が載っていました。

人間が投げた、「人間にとって生きる目的は?」という質問に対し、AIは「不老不死になること」という言葉で答えたそうです。

二十代の頃から、僕も同じ答えに至っていました(もちろん、僕がそれを求めていた訳ではなく、社会の流れを俯瞰して、という話です)。

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手塚治虫の作品に、『火の鳥』という巨大な連作があります。『火の鳥』の生血を飲むと、人は不老不死を得る。そこに渦巻く人間模様を、いくつもの時代を渡りながら描く巨編です。

火の鳥』のテーマは「人はいかに生きるか?」。不老不死を得ようが得まいが、そこに違いはあるのだろうか? という問いが、その頃から、僕の中にも自然と残っていました。

火の鳥(不死鳥)』は、『コスモゾーン』という超越的で、生きとし生けるすべてのいのちが、個々に自立し合いながら同時に混ざり合っている。そして、すべてのいのちが火の鳥(コスモゾーン)へと還る。

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そんな『火の鳥』を僕は、パーソナルとして個々につながり合いながら、全体として機能しあう、インターネットの仕組みのようなものだと感じていました。

それは、本当の意味でのボーダレスな社会の予兆が、20代である僕のまわりですでにはじまっていたからでもあります。
でもその環境は、『火の鳥』のような特別な物語でもなんでもなく、ただ単に、「血の繋がっている家族」と「血のつながらない家族」の違いみたいな、どこにでもありそうで、実は見えづらい話、という種類のものです。

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その頃、僕はものをつくることを生業にしてる仲間と、ボーダレスなコミュニケーションをコンセプトに雑誌をつくったりもしていました。

創刊号のテーマは『家族』。
たぶん、血のつながりだけに縛られたくなかったのだと思います。何故なら、『家族』という言葉を「血のつながり」という意味に限定した瞬間、「結婚」や「夫婦」そのものを否定すると気付いていたからです。
多少、屁理屈に聞こえるかとは思いますが、事実として僕の父と母は、血がつながっていない。自分の意志で、互いを家族として選んでいる。

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血のつながり=家族。そういった既成概念が、どれだけの物事を逆に複雑にしているのか? 血のつながりだけが家族であるなら「結婚」そのものを否定することにはならないか?

動物行動学的な見地から、雄としての役割も持たない父親を否定するなら、『父親』に役割を与える人間社会、その文化や文明の意味とは何か?

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時を経て今思うのは、その頃から僕は、ただ、好きな人とシンプルに結婚し、自分で家族をつくりたかっただけなのかもしれません。幸せな結婚や幸せな家族を、自分自身の力で。

それらのことに気付く道程として、一旦様々な思考を整理するために、今回このイベントを開催したのだろうと、今に思います。

よしもとさんと対話していると、自然と家族の話に入る自分がいます。その対話の中に、「かわることなく かわりつづける」人の営みを感じ、同じ星をみている気もしています。

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そういった一連の流れ、その答えのような文章を、今回、よしもとさんに提出して頂きました。
そして、あらゆる憂いを清々しく振り切れる形で、今回の企画イベントを終えることができました。今回のイベントに関わり、この機会を与えてくださったみなさん、ありがとうございます。

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これからも僕は、自分の『心』という『自由の国』に生じてしまった「既成概念」や「思い込み」の壁を、ガンガン壊していきたいと思っています。自分を遮ろうとする自分、つまり、『天国の壁』を破壊しながら生きていくことを選び続けます。

その方法として、自分と対決するのではなく、自分との和解を選ぶことにします。そしてその壁を破壊し、その瓦礫から、新しい「何か」を生み出し続けたいと思っています。

いつも応援ありがとうございます。

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  ボーダレス 

 

 

 

 「ボーダー」とは何か?

 

   境、範囲を定めるもの。
   それは障壁であり、安心の確保だ。

 

   人は区切られていると、安心する。
 「自分はあの人とは違う」
   比較する事で、これでいいんだと思う。

 

 一方で、人と同じで無いと不安になる。

 


 「ボーダレス」

 

   境なく、交わることは不安定な事だ。

 

   物差しが無くなる事を憂うのでは無く、
   新たな価値観と触れるのだと、思いたい。

 

 

 
   よしもとよしひろ

 

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