『アステカ文明堂』の即興ぽえぴあの
即興でピアノを弾いて、ポエムることをはじめました。
ピアノをきちんと学んだことはないけど、楽器としての仕組みがシンプル。
左にいくほど低い音。
右にいくほど高い音。
つよく鍵盤を押すと、音がつよく鳴る。
だから、きちんと勉強し、弾いたことがなくても、楽譜が読めなくても、音は鳴るし、曲にもなる。
それは、こころの仕組みとそっくりだなぁと思う。
みんな、身体のなかに、こころを奏でる鍵盤があらかじめ、そなわっている。
外界からの刺激によって、それが鳴ることを「感じる」という。
自分でメロディーを組み、鍵盤を弾くことを「考える」という。
そのひとなりのメロディーの、癖や好みを「考え方」という。
外界からの刺激を受けながら、メロディーを組み、奏でることを「思う」という。
不意に、誰かに傷つけられ、低い鍵盤をたたかれれば、悪魔みたいな音も鳴る。
誰かのうつくしさにふれ、鳴りひびく旋律もある。
それらがずっと、身体で鳴りつづけることだって、あるかもしれない。
谷保・富士見台団地の軒下に、ピアノが置かれている。
自由に弾ける。たまに弾きに行く。
音は激しく、メロディは悲しくなることが多かった気がする。
一度知識を入れてしまうと、原始的な感覚が損なわれるのは当たり前なので、できるかぎり、音楽に関しては勉強したくないな、と、決めてはいた。
ジャングルの奥深くに暮らす原住民が、身体や太鼓だけを使って奏でる音楽が、なぜ、世界で認知されているクラッシック音楽の技術を内包し得るのか?
即興朗読と同じで、ひとが偶然を連ね、時間(音楽)が生成されていく感覚を、僕はライブ=即興で証明しつづけたいのだと思う。
僕なりの即興の極意はすごくシンプル。
1、勇気:自分の中に生まれる感覚を、外に出すのをためらわないこと。
2、理性:その感覚が生まれる泉(思想)を、常に、意識的に更新すること。
3、本能:感覚に素直に反射できるよう、身体を整えておくこと。
4、世界:時間が勝手に物語をつくる仕組みを信じ、環境に身を任すこと。
そして今、ここにいる。
あいむひあー。
同時に。
ピアノや音楽理論をきちんと勉強したいという欲求をおさえるのが、逆に大変になってきた今日この頃。技術の幅を広げ、より自由に奏でたいのだと思う。少し悩む。。
思い通りにピアノを弾きたくなってきている。
ピアノに欲ってるのだと思う。
でも、今は、偶然の方が、はるかに速く自分を超えることを知っている。だから悩む。
ただたんに、せっかちなんだと思う。
カステラは
一度食べると
とまらない
『アステカ文明堂』より 愛を込めて
AI UEOKA
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