オカエリ・トウキョウ・コラボレーション・コンティニュー :第一話 道程
2019年2月24日(日)とある絵画教室で久々に絵を描いた。場の雰囲気や先生のやり方が見事にマッチし、即興詩を朗読する感じで、結果、1時間に10枚の絵が完成した。
その絵を、谷保にあるライブハウス居酒屋「かけこみ亭」を借り、一日だけ展示させて頂こうかと考えた。しかしその夜、その10枚の絵に即興詩を10本つけたとき、もう少し大きな展示会を開きたいという衝動が起った。場所を探すことにした。
とある公民館のなかの喫茶店のことが頭を過った。
その店員さんの働き方がとても美しく、印象的で、そこで働きたいと思い立ち、実際求人情報を調べほどだった(結果、募集条件が合わなくて諦めたのですが)。
その向かいに展示会場があることを、ふと思い出した。
展示会場を借りられるかどうかを、すぐ公民館に打診に行った。たまたま一カ月後に、キャンセルの枠が出ていた。偶然にも「かけこみ亭」の方々が抑えていた一週間の枠だった。キャンセルされた「かけこみ亭」のその展示会は、被災地での避難所の現場を撮影した写真展だった。
偶然、絵画教室を運営している団体のホームページにて、被災地をめぐるツアーの記事が載っていたことをふと思い出した。
所属するスタッフさんが執筆したその記事には、現代人の虚無感が見事に描かれていた。身体で答えを出せないことへの恐怖。そのスタッフさんはミュージシャンでもあり、『下半身の音楽』という言葉も伝えてくれた方でもあった。
同様、僕も常日頃からそこに問題意識を抱いていた。二日前にその記事を読み、ずっとモヤモヤしていた。
それらの点が、一気に線で結ばれた。一瞬先の未来から『GAME START』のサインが飛んで来て焼き付いた。瞬間的に、心でスタートボタンを押した。
それは、絵画教室で絵を描いてから、丁度1週間後のことだった。
「非営利活動であること」という条件のもと、会場をお借りした。3人以上のグループ展でなければNGだったので、受付け中に、普段からあるコミュニティをその場でクリアな形にした。その二時間後には企画も固めた。
当初の企画としては、『非営利活動』という条件を逆手にとって、太宰治など、著作権が解放された作家の作品のみを引用し、著作権と肖像権のルールを逆手にとりつつ、人間の尊厳を問う、みたいな展示ブースも一部考えた。
その作家たちがやりたかったであろうと勝手に感じる部分(世間が誤解しているであろう部分)を、勝手に継承し体現しようと思った。
著作権フリーの条件を、ただ利用されている作家の魂を、本気で解放したかった。
同時にその展示会を、普段大きな仕事を就いているまわりの知り合いの方のたちへのプレゼンの機会にしようかとも考えていた。0から何かを一瞬で膨張させようと企てた。
しかし、すぐにそれらを、全て止めた。
普段からお世話になっている方に、それら僕の反骨精神で積み上げられた企画意図を伝えたとき、「戦うべきは自分である」ということを気付かせて頂けたからだった。
開催までの準備期間はちょうど一カ月。『クリエイティブ・レース・ゲーム・レーサー』として、どこまで駆け抜けることができるか? 加速することができるか? に賭けた。
就職して3カ月。久々にブレーキをアクセルに入れた。同時に、最優先事項は生業としている日中の仕事、というスタンスを守り通すことを絶対的なルールとして置いた。
それをトライするにはまだ早かったのだろう。自分の限界を階段四段抜かしで駆け抜けようとしたのか? 自分の衝動や多動性をコントロールし切れなかった。
つくりたいものがどんどん膨張していった。その波紋の拡散に付いていけるだけの時間枠が、必然的になかった。
結果、実際に雑貨屋の下り階段・四段目でつまずいて、上段から宙へ飛翔し、着地に失敗。搬入前日に、生まれて初めての捻挫を経験することになった。
それよっての精神的な揺らぎは全然なかったし、そのアクシデントをすごく楽しんでもいたが、実質的に、作業に遅れが生じた。
その遅れを埋め合わせてくださった、企画・展示協力の髙塩さんには本当に感謝しています。何より感謝しているのは、余裕がない僕に対し、最優先事項として展示会を完成させる事を選び、実際時間を割いてくれてまで、様々な協力・アドバイスをしてくださったことです。ありがとうございます(つづく)。
AIUEOKA