デジタルzin!ポエジン『宇宙塵』/即興詩人・AI UEOKA

即興詩人・AI UEOKAによるデジタルzin! 雑多な芸術・らくがき日記。

ヒーロー見参!/第一話:出会い:ミキさん&森さん

2010年、僕の組んでいるユニット『古代歌謡』が、まだ即興演奏をやっていない頃、僕らはSSWS(シンジュク・スポークン・ワーズ・スラム)という言葉のバトルトーナメントに出場し、見事、二大会連続、一回戦落ちを決めたことがあります。

はじめて大会に出た時は、一回戦で5対0の大差を喰らいました。
二大会目の一回戦も、スカッと4対1の大差で敗退。
しかし、ここで『古代歌謡』は、はじめて世間からの一票を得ることができたのです。

そんな僕らのパフォーマンスに、唯一の一票を入れてくれた審査員、それが、馬野ミキさんです。ミキさんは以前のSSWSにて、グランドチャンピオンの座をかっさらっていた猛者でもありました。

その日の開会式、主催者側からの挨拶の時ミキさんは、突然、司会からマイクを奪い、自身の詩を朗読するという暴挙を、コンビニで肉まんを買うみたいに平然とやって退けもしました。
それを唖然として観ていた、基本いい子ちゃんの僕は、フレームに収まり切らないミキさんの存在感に、一瞬で恐怖を覚えもしました。今はその理由がわかります。防衛本能を刺激されたんだろうなと。もちろん同時に、馬野ミキさんってすげーな、かっこいいな、とも感じていました。


大会がはじまり、一回戦・第一試合に『古代歌謡』は出場。
僕らは、『最果タヒ』さんが世間をにぎわす前・『最果タヒ』さんを全く知らない状態で、『最果て』という作品に力を入れていて、今回それをステージでにて展開。


最果てを目指し 加速度を上げる
最果てを目指し 魂の加速度を上げる
魂を加速させるためなら 毒さえも食らう


スタジオの練習時には、僕がたいがい最後の方で酸欠になり、倒れそうになっていましたから、その日は、ステージの中央にあぐらをかいて座り、詩を絶叫しつづけても、倒れずに終わりました。
一方、相方の拓さんは、僕の絶叫に載せ轟音ギターを全開で加速させ、果てにはピックさえ宙にふっとばしたりしていました。

たぶん、僕も拓さんも、ステージでぶっ倒れる覚悟でプレイをし、本当に失神していたら、もしかしたら審査員の評価も違っていたかもしないな、と今に思います。


『最果て:詩』
http://d.hatena.ne.jp/macromoai/20161122/1479786436


対戦相手は『猫道』さんという、整った容姿をしたパフォーマーさんで、僕ら『古代歌謡』とは真逆の存在。
ステージでは演劇的・身体表現をフル活用し、最終的には自身のTシャツをビリビリと切り裂き、自らサナギの殻を破った、的なオチまで、きれいに着けるような、スキルの高い演者さんでした。


審査結果は前記した通り。4対1で僕らの負け。もちろん僕らは、ステージで燃え尽きていたから、その時、どんなことも感じる余裕はなかったのか、無言でその事実だけを記憶しただけでした。


しかしミキさんは、大会の休憩時間、僕らのところにやってくると、僕の詩の何行かを、正確に書き留めていた審査用紙を僕らに差し出しました。
(「無意識の最果てでは思考が王国を成す/そこでは/規定された思考が/王国のルールになる」という数行も、完全に書き取っていたから、たまげました!)

そして、
「君が詩を書くの?「魂を加速させるためなら/毒さえも喰らう」って一行は、谷川俊太郎でも書けないよ」
と、コンビニでコンドームを買うみたいに、平然と言って退けたんです。


いつか、きちんと形にしようと思っていますが……。
僕は24歳の時に、当時、セガIBMの顧問・相談役を請け負っていた、とあるメディアプロデューサーさんと偶然の出会いを体験しています。

身内の仲間なら、なんとなく知っている方もいますが、よく僕の話に出て来る、パトロン的な存在。森俊範さんです。

森さんは、当時は確か50代くらいで、もともと『広告維新』という名の、マーケティングにおける改革書のようなものを世に問い、一躍、広告業界に名を知らしめ、そこから活動をさらに拡張していった方でした。


僕は以前、広告作成の専門講座『宣伝会議・コピーライター養成講座』に、一年間通っていたことがありました。
その講義では、毎回、広告代理店のコピーライターさんや、アートディレクターさんが先生になり、授業を進めるシステムになっていましたが、その誰にも敵わない程、森さんは独創的知性・情報を持ち合わせていました。なんだこの大人は?! と、会合の最中に何度も面も喰らいました。

で、とある展開から、当時持っていたゲームシナリオのプレゼン時間を7分間くださることになり、


「生きること、それは影響です」


という、ふいに神が降ってくるみたいに声が聴こえた気がして、ものすごく悩みもしたけど、なんかこの場でこれを言わないと絶対後悔する、って感覚的に察知し、それを思い切ってシャーマニズムしながらプレゼンを開始。
その言葉を聞いた瞬間、森さんが「納得!」って感じで、バチンと左膝を打ち、プレゼン終了と同時に、大声を上げながらガハハと笑い出し、


「その企画、3億円で買った!」


と僕の眼を真剣な眼で射抜き、僕は失神しそうになったんですが……。

(追記:ここでこの追記を入れるかどうかはかなり悩みましたが、この記事はミステリー小説ではないし、「3億円?? 植岡さん大丈夫?」って話にもなりかねなので、念のため結果を先にお伝えしておきます。実際僕は、森さんとこの先約三年間、不定期ですがお仕事を二本やらせて頂きました。が、当時の僕に、アイディアや企画を表現し切る力がなく、結果、それは商品化・作品化せずに終わりました。歩合性だったので、つまり現金での給料的なものは、ゼロで終わりました。もちろん、美味しいご飯や、高級店での会食、セガの絡みで発売同時に『ドリームキャスト』などは無料でくださり、それはもちろん嬉しかったのですが、結果、現金収入はなしで終わりました。もちろん、その頃の経験があっての今なので、そのことを悔やんではいません。そのアイディアが本当にいいものなら、この先、形に変え、自分で再度実現化すればいいだけですから)


今回のミキさんの「谷川俊太郎発言」も、その「3億円発言」に双璧を成すぐらいに嬉しく、「あ、僕の詩も、やっぱり伝わる人には伝わるんだ」と、枯れかけていた勇気を再熱させてくださった瞬間でもありました。

「来週高円寺で僕のワンマンライブがあるから、『古代歌謡』さん、前座やらない?」と、その場でオファーもくださり、「でも、今すげ〜酔っ払ってるから、念のため、確認のメールくれる?」という感じでその場は落ち着きました。高円寺・無力無善寺で行われるらしい、そのワンマンライブのチラシには、松本大洋さんの漫画『ピンポン』のカットが紙面の一部を飾っていました。「お!僕の好きなシーンだな」ととっさに感じたそのシーンには、「ヒーロー見参!」という主人公の吹き出しの台詞も載っていました。

結果、僕も拓さんも、まだまだ『古代歌謡』のステージには自信がなく、結果、ミキさんのワンマンには、お客さんとして遊びに行かせてもらった、という顛末を得たのが2010年の出来事。


そんな出会いがありつつも、僕とミキさんはその後、全然連絡を取り合うこともなく、月日は加速度を上げ、7年の歳月が、毒の矢の如く流れ過ぎていきました(つづく)。



植岡勇二・ペヨー太




馬野ミキさん・ブログ
http://under-poet.blogspot.jp/


SSWS
http://www.marz.jp/ssws/