デジタルzin!ポエジン『宇宙塵』/即興詩人・AI UEOKA

即興詩人・AI UEOKAによるデジタルzin! 雑多な芸術・らくがき日記。

東京創造芸術祭:『カタワラノ永遠・即興ライブ』


東京創造芸術祭:『カタワラノ永遠・即興ライブ』無事、終りました。

この芸術祭は、「身体、造形、音楽、映像、等々あらゆる表現を持ち寄り楽しむ祭り」という主題で毎年行われているイベントです。

昨年の一月、『ポエトリースラムジャパン』という、言葉のバトルトーナメントの東京予選で、一回戦敗退したあたりから、ステージの面白味や、ステージにあえて僕が上がる意味がわからなくなり、書き物としての詩の活動などを中心に行っていたのですが、今回、相方の織田理史さんに誘って頂き、出演を決めました。

楽家である織田さんとの即興ユニット『カタワラノ永遠』は、最近縁あって知り合いになった織田さんが、僕のWEBサイトを観てくれ「僕も音楽をやっているんですよ」と、互いに曲を交換し合ったことから、その活動の種が生まれました。

『作品』というものは、つくり手の人生が圧縮された物質であり、『作品』を間に入れてコミュニケーションを交えると、瞬間で通じ合えることが多く、それはつくり手としての喜びでもあります。


その数日後、織田さんとはじめて遊ぶことになり、僕らはその遊び場を、立川の音楽スタジオに設定しました。
クールでミニマル、もの静かでしなやかな印象の織田さんが、「スタジオで、爆音で音楽を聴くのではなく、良かったらセッションして頂けませんか?」と、印象とはうらはらな積極的をみせてくださり、僕らは初回から、即興朗読と即興電子音楽のセッションを行いました。


織田さんと僕の好みの接点である、ダークな音楽、ダークな側面、絶望を基盤に置きつつも美しさを求める性(かっこつけ過ぎ?)などが重なり合うセッションが、初回からすんなり展開され、僕らはその日からユニットを結成することにしたのです。それが5月中旬。
その後、二回のスタジオを重ね、昨日の本番に挑みました。

はじめての『カタワラノ永遠・即興ライブ』は、内的感覚として、すべての記憶が、今この瞬間に一瞬で逆流し、それが毎秒毎秒、言葉と音になって時間を生成するかのような、スリリングなライブとなりました。

最近、友達になったばかりのある方が、僕らのライブをとても楽しみにしてくれていました。その方が、ライブ前に送ってくださったメールには「また音源とは違った、肌で感じるようなライブだといいなぁ」とあり、そうか、ライブで音源と同じことをやっても意味がないんじゃないか? という、強烈なフックになりました。


その数日後、馬野ミキさん・チヒロさんが主催する『無力無善寺オープンマイク』に出演しました。
その際、8分間の枠の前半は『語り』、後半は『朗読』というステージを展開したのですが、ある詩人の方が、わざわざ誠意を持って率直に感想をくださり「あなたのステージは前半の『語り』の方が『朗読』より断然面白かったから、モヤモヤが残った」という言葉を与えられ、的を得ているな、と深く心の中で頷くことに。

ギター・大槻拓さんと、2010年から活動をはじめた即興ユニット『古代歌謡』では、すでに400曲近くの即興演奏がアーカイブされているのですが、その中でも未だに一番輝いているのは『ステーンド・バイ・ミー』というタイトルの、語りからヘタクソな歌に展開するという形の、『朗読』ではない即興であり、上記の感想をくれた方の、鋭い指摘が強く響きました。

そんな二つの大きなフックを意識しながらのライブ本番では、観客のみなさん、ひとりひとりを個別に意識し、ひとりひとりに感覚の触手を伸ばしつつ、語り掛け、朗読をし、また語り掛け、朗読をし、という混合的な展開を起こしました。観客の方を『みんな』ではなく『ひとりひとり』と捉えるスタイルは、先日の『TOKYOポエケット』にてライブを行った『URAOCB』さんから学びました。


お客さんからのお題、『空』というワードではじまった一本目の即興。
そこでは、朗読を展開したあと、お客さんのひとりに直接マイクを向け、語り掛け「『空』って何ですか?」という質問を発しました。そのお客さんは「『永遠』」と答えてくださり、次にまた違う方に、同じ質問を投げ掛けました。
質問を受けた男性は、複雑な顔をしたあと沈黙しました。30秒前後の沈黙があり、僕はその沈黙が『空』の答えだと悟り、挨拶し、一本目の即興を終えました。質問を投げ掛けたあとの、沈黙を怖れずに言葉を待つスタイルは、『手創り市』でライター・インタビューを行っていた際に学びました。

二本目の即興は『夏祭り』というお題を頂きました。
今回の即興は、孤独の素晴らしさを知った狼が、群れからはぐれ、ひとり自分の中の『夏祭り』に入って行くのを、群れの狼が追い掛けるというストーリーです。これは以前、孤独について徹底的に考えていた時期に、『狼を探せ』という『孤独』をコンセプトにした企画雑誌を考えていたことに起因します。
「孤独から逃れようとすることが消費を生む」「祭りは宇宙であるために。身体を言葉を超えるためだけに」など、孤独を愛することによって、宇宙との一体化・祭りを体現していくという即興展開に至りました。

三本目の即興は、お題はなく、織田さん作・コントロールによる、大画面の映像とのコラボレーションでした。
はじめに、先程このイベントに出演し、現代音楽家ジョン・ケージのオマージュとしての曲も演じた、客席の小森俊明さんに語り掛け、僕がライブの感想を彼に語りはじめるところから即興を展開しました。
「ピアノを一旦やめ、会場に無音(かすかなに響く音楽)を数分間生み出した小森さんの演出を受けて、気付いたんです。この世界にはもう、無音なんてないんだってことに。頭の中では常に思考が流れていることに。その音は止まらないということに。それは、言葉を発達させ、文明をつくり上げ、テクノロジーの進化を止められない人間の本質のようなものだって」

こうして展開していった即興ライブでしたが、今回僕がやりたかったことをぶっちゃけて話すと、それは『コミュニケーションというアート』の可能性、その追求です。
他の出演者の方の演目は、全てを観ることができなく、それは残念だったのですが、観させて頂いた演目について言えるのは、作品(時間芸術)という無言の中に、受け手の想像や感情・感覚を宿らせるものだと感じました。
僕は言葉を持って、有言で、それを行う使命にあります。
言葉に『詩感』をまとわせ、そこに感覚的な余白や、開放された空間を空ける。
それが、傍らにある永遠に至る、抜け道だと思っているからです。

最後に。イベントが終り、主催者の方にご挨拶をした際、「新しかったよ、面白かった」と言って頂けたことが、何よりの成果を表わしているような気がして、嬉しく思いました。
今回、わざわざライブに足を運んでくださったみなさん、ありがとうございました。いつも応援してくれているみなさん、ありがとうございます。
作品とは、『無意識の表像』です。
僕ら『カタワラノ永遠』をイメージしてくださっている、みなさんの無意識が創り上げたのが、今回の即興ライブであり、みなさんの深い無意識があったからこそ、この時間は現象化されたのだと思っています。
ありがとうございました。

最後に、ともに舞台に上がる機会を与えてくれた織田さんへ。
織田さんが僕の後方に座り、音楽を奏で続けてくれたこと。『音』という無意識の領域でずっと通い合っていた感覚を、僕は忘れません。
これからもよろしくお願い致します。


植岡勇二


『カタワラノ永遠』
https://katawara-no-eien.tumblr.com/