東京荒野
3月下旬、『東京荒野』という雑誌に出会った。
編集長の湯原さんにタイトルの由来を訊いた。
ストレートな答え。
「東京は荒野のようなものだと思うからです」
僕は思う。手にしたその雑誌の表現者たちは、それぞれが荒野を持ち、その荒野の広さ、荒さゆえに翻弄されながらも、その足で立ち続け、またどこかを目指し歩いているさまを。彷徨っているのか、目的の場所があるのか、それはわからないが、ただ歩くことだけはやめない。そんな強さを感じた。
僕は編集長にその場で持ち合わせていた原稿を渡した。
そうして今回、『東京荒野第5号』に僕の詩が4ページ掲載された。
10篇くらいあった原稿の束から選ばれたのは、『骨』という即興詩。『応援』という言葉をお題に、僕が即興朗読し、拓さんがギターを弾き、それを録音し、今回テープ起こししたもの。
死んでいった飼い猫『ケン』が亡くなるまでの数カ月のこと。
『骨・死』を隠蔽する都市の在り方、文化の在り方を示唆する友人の言葉。
『ケン』が亡くなったあと現れた『ケン』と呼ばれるそっくりな猫。
毎日、色々なことがあろうがなかろうが、日々を淡々と生きるということ。
そんな即興がそこではなされています。
何はともあれ『東京荒野』は、パンクな雑誌、荒ぶる紙の荒野です。
どんな表現にも規制をかけず、取り込もうとする暗黒の器は、まるで東京そのものです。
よかったらぜひ読んでみてください。
植岡ペヨー太