『ゲンジュウ-言銃-』
ものを書くところでしか生き場がない。
伝えたいというより、沸き立つものをただ形にすることによって、湧き上がる感覚をより確かめたいだけなのかもしれない。
言葉が、言っている。
言葉は、全世界につながったある種のネットワークで、それが、誰の、口を伝い、何語で話されるか、とか、音楽のようであるか、とか、ユーモアがあるか、など、それはその唇、心という穴(アンテナ)を持った人の個々の習性によるものだ。だから、そこに差異あれど、言葉という深く幅のある階層に、僕たちが意識を合わせている限り、僕らは、言う、葉っぱ、とつながった、人間という名の『自然』だ。
(ゆえに電波系という言葉が嫌いだ)
『チャットモンチー』の『拳銃』が、今の僕の鏡だ。
もちろん、『拳銃』に秘められた色恋沙汰は抜きにして、の話だけど。
この歌は躁うつの物語だ。
意識という一本の線が分ける表と裏、光と陰。
僕はそれを受け、新しいバランス感覚を手に入れようとしている自分を知りはじめている。