デジタルzin!ポエジン『宇宙塵』/即興詩人・AI UEOKA

即興詩人・AI UEOKAによるデジタルzin! 雑多な芸術・らくがき日記。

ゆらぎ

絵描きの清水さんが現在静岡で行っている
巡回展「ゆらぎ」。
http://shizuoka-info.jugem.jp/?eid=233
その作品から得た様々な気持ちをつらつらと。

僕は二十代前半の頃、美しい言葉や
美しい風景、美しい世界に強い
憧れを抱いていた。

そして美しい言葉(自分が美しいと思える
言葉)だけを選択して、詩を書いていた。

それが紆余教説を経て、現在は、
美に対する価値観も相当変ったし、
自分の書くものも、その頃とは
大幅に変化を得た。

僕は、今現在の自分の作品を
よしとしているし、
そこには美もあれば、汚濁もあり、
それが最終的には、昇華された形で
美に繋がっていると思っている。

しかし清水さんの切り口は、
そんな僕とは明らかに違うと思う。

彼女の作品は、
二十代の頃、僕が美しい世界に
憧れていたことを思い出させるような、
そんな、高みにある美しさを持っている。

清水さんの作品のすごいところは、
多くの方が「きれい」というシンプルな言葉を
吐息を漏らすように自然に漏らすこと。

そこに普遍的な美が確実にあること。

もちろん、清水さんの作品を観ると、
きれいなだけじゃないことはわかる。
そこには、闇も汚濁も含まれている、気がする。
しかし、それらが昇華された一番高い地点で
作品の全体像が明らかになるように
つくられていると、僕は感じる。

だから、シンプルに「きれい」の
言葉が出るのだと思う。

そんな作品を観て、僕は僕の中にもまだ、
二十代の頃の美の高みを志す思いが
今もあったのだなと、
今更ながらに再確認できた。

それは、本当に僕の心の深い闇から
解き放たれた一感情、こころのゆらぎだ。

普段僕は、芸術ということを意識しないけど、
清水さんの作品を観ると、毎回、
芸術の持つ力のようなものについて
考えてさせられる。

芸術は言葉を超えた最後の言葉だと
僕は思うことがある。
最後の言葉は、透明であり、
それは到底言葉に翻訳することはできない。
しかし、その言葉の波長・泡立ちに
身をゆだねるとき、
人は、身体そのものが裸の心になる。

彼女の絵は、多くの人の心の鏡であり、
その鏡に映る自分の無意識を
人は「きれい」だと思う。
人の心に、この「きれい」を
呼び起こせる清水さんの作品は
本当にすごいと思うのです。