デジタルzin!ポエジン『宇宙塵』/即興詩人・AI UEOKA

即興詩人・AI UEOKAによるデジタルzin! 雑多な芸術・らくがき日記。

停電の夜に〜Summer Holiday 1999〜

僕のブログを読んでくれている皆さん、
いつも本当にありがとう。
伝えたいと思う、あなたがいることで、今僕は
小説なり、詩なりを書くことができるし、
それによって、心休まり、バランスを取り戻すことが
できているような気がします。ありがとう。


小説をひとつ書きました。
(小説といっても、人物の名前以外、すべて実話ですが)
3分くらいで読めるものです。
この小説を読んで、少しでも息抜きになれば幸いです。




「停電の夜に〜Summer Holiday 1999〜」



 1999年の夏休み。
 当時二十四歳の僕と、三つ下の後藤くんと高澤くんは、長野の高遠にある後藤くんのおじいちゃんの家に遊びに行くことになった。
 街から四十分程、山道を上がった所にあるその家は、舗装された細い道が一本と、それに沿うように電線と細い川が走っているだけという、文字通り、何もない場所にあった。
 しかし、その何もない場所ということは、その時の僕らにとって素晴らしいことだった。何もなかったからこそ、僕ら三人は、ひたすら飽きる事なく語り合うことができたのだから。
 夕飯を終えると、毎晩、家の前の、全然車の通らない道端に座り、月が雲に隠れたり、また現れたりする中で、僕らはただ、思い付くままに何時間でも語り合った。
 十九歳の春、後藤くんと高澤くんが、地元神奈川から沖縄まで自転車で旅をした時の話。幼なじみの二人は、道中喧嘩ばかりしていたと言って後藤くんは笑い、高澤くんは未だ恨みでもあるかのような、苦い顔を浮かべた。
 僕が高校の時に駆け落ちをした時の話。もう引き返せないという状態に追い込まれた時、電車の中で、足下がなくなるような目眩を覚えたことを僕は語った。
 嫌いだった学校の嫌いな先生の話。後藤くんは何度も先生に殴られたと言っていた。
 初めて女の子を抱きしめたときの感触について。純な話で終わらず、その時、勃起したか? しなかったか? と真剣に確かめ合った。
 そして、コミュニケーションの難しさと素晴らしさ、そして自分たちの不器用さについて、などなど。
 夜が深まり、月が山の影に隠れても、僕らは、互いの境界線がなくなる程深い闇の中で、話し続けることをやめなかった。
 もちろん、昼には川遊びや、山登りもしたが、やはり僕らには、この時間が一番親密でいられて、一番、心躍るもののように感じられたのだった。

 二日目の晩、みんなで花火をした。
 後藤くんが、照れ臭そうに笑いながら、火のついている花火を僕に渡した。そしてそれを僕が、みんなを見守るようにして少し先の方に座っている後藤くんのおじいちゃんに、そっと渡した。するとおじいちゃんは、後藤くんと同じ照れ笑いを静かに浮かべた。
 そのときだった。僕は不思議な感覚に包まれていた。それはまるで僕が、後藤くんになって、おじいちゃんのことを見つめているかのような感覚だった。僕が空の入れ物なら、その中には今、すっぽりと後藤くんが入っている。そして後藤くんが、どんな眼差しでおじいちゃんを見つめているのかが、感覚的にわかった気がしたのだ。
 
 最終日、僕は昼風呂に入っていた。上機嫌の僕は、無意識にスタンド・バイ・ミーを歌った。そしてお風呂からあがると、部屋で後藤くんと高澤くんが、偶然スタンド・バイ・ミーを歌っていたのだった。僕は笑った。
「僕も今お風呂で歌ってたところなんだよ」
 と。そして続けた。
「そういえば、小説、スタンド・バイ・ミー出だしがね、心の中にある重要なものごとほど、言葉にして伝えづらいものだ。なぜなら言葉が、その意味を減少させてしまうからだ、って始まりなんだけど」と話し出した。
 すると、高澤くんが、
「僕、今、偶然、それを読んでいるんだよ」
 といって鞄からスタンド・バイ・ミーの文庫本を取り出した。
 連鎖する小さな奇跡。
 僕はそれを受け取ると、出だしの文をゆっくりと朗読した。
 言葉は心を越えることはできない。しかし僕らは、完全にそれが伝わらないとわかりつつも、感情的に心を伝えようとしてしまう。そしてそれは、残念な結果を生むことが多い。僕らが必要としているのは、話の巧みさなんかじゃなく、それを心のままに受け取ってくれる受け手である。
 そんな序文を読み終えると、僕は言った。
「でも僕らは今、新しいスタンド・バイ・ミーの中にいる。言葉という限界を超え、まるで互いが空気のように、二人の気持ちがわかる」
 すると後藤くんと高澤くんは、
「偶然だけど、君がお風呂に入っている時、僕らはそのことを話してたんだよ。まるで、みんな空気みたいにつながってるって。さっきから偶然が何度も重なっているのも、きっとそのせいだよ」
 と、笑って続けたのだった。
 そして僕は打ち明けた。
 花火の晩、おじいちゃんを見つめているとき、後藤くんになったかのような感覚を得たことを。まるで透明人間になったかのように身体が空洞になり、その中に後藤くん入り込み、おじいちゃんを想う気持ちでいっぱいになったことを。
 すると後藤くんも打ち明けたのだった。
「変な状態だったから言わなかったけど、実はあのとき僕も、君になったみたいな気がしていたんだよ」と。

 言葉の不自由さを越え、僕らの不器用さを越え、それでも尚、つながることができたのは、きっとあの闇夜が、僕らの輪郭を奪ったからかもしれない。
 今日、停電の闇の中で、僕はそんなことを思い出していた。





植岡ペヨー太 mikromoai@gmail.com