すべてはつながっていない だからつなげるんだ
この企画展は、10年前に『常夏ピアノ』の物語を書き起こしたことがきっかけとなり、10年後に展覧会になりました。
北海道からは『常夏ピアノ』の産みの親、菓子美呆の稲尾さんがかけつけ、さらに深みを増した朗読と、ものをつくることの考え方を伝えに。
ちょうど10歳年下のユキシュンスケくんとは、出会って10年目にしてはじめてライブで共演。
10年前の僕が本格的に小説家を目指しはじめ、はじめて書いた物語がこの『常夏ピアノ』だったように、増子愛(めぐみ)さんも、今回の展覧会を機に本格的に絵を描き始め、そして絵本の原画とたくさんのラフ画を展示させてくれました。
展示を担当してくれた名倉くんの主催する『手創り市』は、今年で10年目。そんな彼がつくってくれた空間は、子供のあたまの中でありつつ、同時に大人の郷愁でもあるという、ある種、ボーダーレスなものでした。
「すべてがつながっている」という言葉が僕はきらいです。
右脳には、ものと自分との境界は感じられないそうで、文字通り「すべてはつながっている」と世界を認識しています。
左脳は逆に、ものとものとを分ける『輪郭』を認識できる器官。
僕は最近まで、「すべてがつながっている」という世界認識だけで生きていたように思います。
右脳だけしか使ってない(なんてことはないのですが)ようなその生き方は、社会という左脳と僕を、自ら遠ざけました。
でも最近は、「すべてはつながっている」という前提のもと、「すべてはつながっていないから 自らつなげるんだ」という思考にシフトしつつあります。
社会という左脳を駆使しつつ、つなげられるものを積極的につなげていく。
そんなバランス感覚が、この『常夏ピアノ展』を終えるのには必要不可欠だったのだと思います。
安易に使われる「つながり」という言葉も僕は好きではありません。
大好きな、大切にしていた言葉を商売にされている嫌悪感からです。
そういった感覚とは、今後も、自問自答しつつ戦っていきたいと思っています。
敵はいつだって自分の中。
植岡勇二