デジタルzin!ポエジン『宇宙塵』/即興詩人・AI UEOKA

即興詩人・AI UEOKAによるデジタルzin! 雑多な芸術・らくがき日記。

名前とは何だろうか?


 昨夜は二カ月ぶりに、我が即興ユニット「古代歌謡」のスタジオだった。

 昨日はとある事情から、いつもギターを弾く拓さんが、折り畳みの小型鉄琴を持ち寄ってくれた。
 鉄琴の音に合わせて即興詩をやるのも、ギターでやるのも、基本的には何も変わらないなと実感した。
 ただ、拓さん自身が、鉄琴で表現の幅を出すこと、抑揚や強弱、意外性などを際立出せることが、ギターよりも幾分意識的になっている感は否めなかったけど、それはそれ、メリハリがあり、楽しく(?)詩を乗せられた。

 昨日は、スタジオを一時間借りて、20分間の即興を二本やった。
 お題は、拓さんの持っていた金子光晴の「西ひがし」のページをランダムでめくり、その一部に目をつぶり指を指し、ことばを拾って決めた。

 一つ目のお題は「男」。
 二つ目のお題は「こきつかわれる」。

 「男」は、鉄琴を弾く拓さんを描写しながら、色々な角度から「男とは何か?」という命題に入っていく、という手法を取った。
 最後の方では、やはり! というか、80年代の青年誌、ホットドックプレスで連載されていた、ハードボイルド作家の北方健三による男による男のためのQ&Aコーナー「試みの地平線」まで登場する始末。なかなか楽しかった。

 「こきつかわれる」の方では、時給200円以下で働く男が、何故、それを許容できるのか? ラブに奉仕するその背景を軸に、現代社会、主に企業に勤める方たちに向けての問題定義を行う、という即興になった。後半の方では、ほとんど瞼を伏せ、心が回転するままに、ことばを乗せた。

 スタジオ後、お茶をしている時、拓さんに今後どうやって創作活動と生活のバランスを取りたいか、などを話した。
 アウトサイダー・アートの話しを引き合いに出し、そこから自分の作品(ライターの仕事ではなく、小説や詩のファインなもの)には、社会的な需要があるのか、どうか? など。
 アウトサイダー・アートと、古代歌謡の類似性。
「芸術は、誰にも名前を知られたり、その名前のせいで歓迎されたりすることを嫌う(引用 ―アウトサイダー・アート 現代芸術が忘れた「芸術」服部正―)」という点は、特に当てはまった。(これは拓さんが特に感じているところだけれど)。
 古代歌謡が芸術かどうかは棚に上げたとしても、僕は少し拓さんとは違うスタンスで、古代歌謡でやっていることも表に出していきたいと思っている。
 今、今年の春、夏、秋、とかけて収録した各30分の即興詩三作を、ひとつにまとめ、小説的なスタイルで書き起こし編集している。
 まずはそこからだ。

 ウエペヨ