こんな気持ちになるなんて
ライフ・イズ・ビューティフル。穏やかに、笑いながら、過ごしていたい。
コロナで一番きついのは、まわりのみんなに対する心配。
健康でいて欲しい。
自分にとって「死ぬこと」は、いつも近くにある当たり前ってどこかで思っていたから、自分が辛いのは平気だったし、それを辛いと定義する選択肢も、当たり前になかった。
実際、もっともっと身近なところで死に際を見ると、死によって生きることを断絶されるのは、やはり完璧な不自由だよなと痛感した。
体調がもとどおり復活して、10年以上ぶりに「感じる心」を取り戻せて、一番大きかったのは、「痛み」を取り戻せたことだと思う。
東洋医学では、「痛み」は身体からのサインであり、それは僕の場合、感受性を取り戻すための回復を意味した。
眠っていた「左脳」が目覚め、「右脳」との交信をはじめた。言葉で感情に名前や意味を与えることができ、それによって生活に自由が生まれたが、同時に心の不自由も増えていった。
今はバランス感覚を得ている。自分の気持ちを大切にしている。
少し前まで、悲しいものごとを美しさに変換することを避けるよう意識していた。それが自身の弱さや陶酔につながる訳ではなかったけれど、その美しさは卑怯な気がしたから。
でも、それは二次的な価値観であり、悲しいものは悲しいし、美しいと感じるものは美しい。それらが感覚の結果でしかないなら、自身が自身を欺かず、他人に欺かれるような感性でなければ良い。本能というこの身体の反応は、なかなかコントロールは難しいけど、理性で身体を創り換えていければそれでいい。
そして今、この世界を見渡すと悲しい。でも、世界は変わらず美しい。つまり、悲しいから美しい訳ではなく。美しいから美しい。それだけはずっと変わらなかった。だからこそ今、悲しみあることを認め、では、何ができるのか? と自分を見つめる。
僕にできることは僕のできる範囲に限られるが、できることがない訳ではない。
好きなみんなに会いに行こうと思ったら会いに行けた。ほんの少し前までそれができたことが、今は幸運に等しい。
本気でみんなに生きていて欲しいと思うし、また飲んだりカラオケしたり、公園でしゃべったりしたい。
ここ数年、お年寄りの方と話す機会も増え、戦争や政治について意見交換をする機会も増えた。戦争を経験したみなさんが何故、投票に行くのか? そもそも選挙権が与えられていなかったことや、戦争が終わると同時に選挙権を得たこと。その一票にいのちの重みがあることなどを伺い、はじめて選挙と政治の意味を理解した。
そして今、戦時中と同じような感覚で動いているこの世界と、コロナの意味、大切なもの、失いたくないものについて考える。明日死んだら僕は、誰かと口喧嘩さえできない。ムカつくことも、言い間違いや誤解に頭を悩ませることさえも。
今日もいつも通り一日がはじまって、また夜には一日が終わっているはずだと思う。でも、一日の中身は出来る限り変えて行こうと思う。誰かの死は、後悔という言葉では足りないし、そもそも言葉でその穴は埋められない。
だから言葉を尽くすのだし、言葉よりもまず、「伝える」ためにできることを大切にする。自分の不勉強を恥じ、改善に取り組む。それは誰の問題でもなく、自分の問題である。
その気持ちを経て、自分を省みると、とんでもないレベルで自分がまわりのみんなに心配かけて来ていたんだなぁって、すごく反省した。戦争でもないのに死に際で生きていながら、「平気、平気」って、平気で言いつづけていたのだから。
そして今はもう大丈夫。時間も余裕もある。その資源をもとに仕事を淡々とやる。
たくさんのことを想い出す度、もう忘れたくないと思う。
そして全部思い出すみたいに、たくさんの知らないことを知りたい。
想像力が世界を救う。
少なくとも、僕の世界と僕を、僕の想像力が救ってくれてはいる。
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ストリートピアノ・即興コラボ「ラブレターがタイミングを外したら」WTARIROUKA(矢川の彩ちゃん・ピアノ&府中のうえちゃん・ことば)@国立市谷保・むっさ21