デジタルzin!ポエジン『宇宙塵』/即興詩人・AI UEOKA

即興詩人・AI UEOKAによるデジタルzin! 雑多な芸術・らくがき日記。

『バラ色のうた Beautiful rain ー雨の花びらで花束を編むー』

f:id:macromoai:20200514082639j:plainその子は、深海の闇を借りることで、音を―その姿を―消しながら、自身の心音だけで沈黙の音楽を奏でている。

その歌を聴きながら、また別のフェイズにいる僕が詩を書く。歌を歌い、朗読し、演じ、踊る。

けれど、心音の傍にいるその子が、陸に上がることは、まずない。f:id:macromoai:20200514090331j:plainその子は、弱いからでも、儚いからでもなく、ただたんに、この世界が自分と性質が合わないと知っている。自分が染まりやすいからこそ、そうしているのであり、それは、より濃密な水圧を求めて渡る深海魚のようなもので、自身の本能に従った結果であることをその子自身了解している。つまり、その重さと闇で自分を縛ることで、自身の染まりやすさを純粋なまま、保つことができたのだと思う。f:id:macromoai:20200514081206j:plainそして同時に、自分を守る必要性から、水面に映る太陽のような自分や、空や嵐、月や星など、あらゆる自分を描き出し、強度ある言葉や身体で、僕らを躍らせる。他人との関係性の中で生まれる、作為ある創作物を、避けるために。僕らは意識的に自分たちを作為的に演出することで、その子を守る。その子のいる、その場所を守る。

f:id:macromoai:20200514081159j:plainでも時折、その子がふと目覚めるかのような、誰かと出会うことがある。

その誰かもまた、その子の知らない文化の中で、様々な生活を描いているのだろうけど……例えばそれが誰かのブログであるなら、その子を目覚めさせたのは、純粋に抽出された深海の音楽性が、そこにあるように感じられたから。f:id:macromoai:20200514081154j:plainでも、その歌はあまりにも静かすぎて、いのちの根底に当たり前のように生きることと死ぬことがあるように――それについての感想を人それぞれ想い描くが、それを作為によって介すことを当たり前に避け――その言葉や写真の中にはただ、その事実が事実として示されている。f:id:macromoai:20200514075624j:plainその子はそれを「調和」や「自然」と呼び、それを「詩」と規定している。そしてそこにある当たり前の美しさが、現実や他人の投影に塗れることで失われていくことを、その子は不幸だと思っている。f:id:macromoai:20200514090618j:plain僕の名前は「天国の壁」。

だから僕は、その子を守っている。

そしてこの世界に、ごくたまに、その子と同じように呼吸している「その子たち」を、成熟した大人の中に、発見することができる。それを美しいと感じるのは、僕ら、「身体」、つまり本能である。f:id:macromoai:20200514090734j:plainここ数ヶ月、このブログではなく、最近始めたFacebookやインスタを中心に投稿していました。

SNSに久々に投稿してみて、大きかった気付き。それは「自分を大切にすること」でした。

 

近日、歌手として、透明な声を形に換えます。

  

 

交響曲第九番『バラ色のうた Beautiful rain ー雨の花びらで花束を編むー』

 

作詩&歌 AIUEOKA 
原詩・シラー/作曲・ベートーヴェン

 

あなたの魔法が つなぎあわせる
昨日の刃が 切り裂いた羽根

壁に隠された 宝石の歌は
明日をつくりだす 泉のつばさ

言葉のいらない 鏡の家族
星の軌道(めぐり)で となりあう奇跡

 

心と身体が 出会うそのたび
生きていることが 勇気にかわる

風生む森から 咲いてこぼれる
雨の花びらで 花束を編む

その感動を ともに歌うたび
あなたとわたしは 花になるのさ

 

あらゆる天使も 悪魔の業(わざ)も
誰かを生かせば 誰かを殺す

春夏秋冬 花は打ち寄せる
血潮(ばらいろ)の道(うた)を 水人(みずびと)がいく

嫌いも好きも まざりあいながら
わたしたちはみな 愛しあうのさ

 

 


ストリートピアノ ベートーヴェン 交響曲第九番Beethoven Symphony No.9 ~即興コラボ:まるちゃん(15歳・ピアノ)&詩人 AI UEOKA  street piano