デジタルzin!ポエジン『宇宙塵』/即興詩人・AI UEOKA

即興詩人・AI UEOKAによるデジタルzin! 雑多な芸術・らくがき日記。

僕にとって「才能」とは何か?

f:id:macromoai:20190507185422j:plain「才能」とは、「それぞれの身体に振り分けられた可能性の違い」でしかない、と僕は考えています。一人一人、同じ人間の身体をしていながら、一人一人違う身体を持っている。みんな違う、が故に、みんなが同じ。そういう、「平等=不平等」を、僕は個性=才能だと考えています。f:id:macromoai:20190507185427j:plainそういった意味では、僕の「才能」という言葉の定義は、一般的ではないのかと思います。「才能」とは、特別秀でた特性を持った人に使用される言葉だからです。

が、一人一人、脳の思考の枝は個性的な伸び方をしていく、という意味で、みんな才能があるのは当たり前である、と僕は考えている訳です。

ですので、「一般」と「普通」という言葉も、意識的に使い分けるようにはしています(もちろんまわりの方々が、どんな言葉をどう使うのかは、僕の言葉に対する意味付けとは別物だと理解しています。言葉は心を伝えるための道具的なものでもあるし、道具の使い方は人それぞれ違って当たり前ですし)f:id:macromoai:20190507185433j:plain「普通」とは、自分にとっての普通です。他人にとっての普通は完全には見えません。

そして自分にとって自分が普通なのは当たり前なので、自分の普通が他人と違っていることや、自分にとっての「普通」は、なかなか分かりづらいものかと思っています。

そういう意味では、自分の大きさや可能性を、自分にしかわからない瞬間が多々ある。

そして同時に自分も、他人の大きさや他人の可能性が測れないこともある。

でも、そういった自分の中に確かにあると感じている、自分と他人の可能性(個性=才能)を意識しながら、自分の感覚に従い、自分と自分以外の誰かを信じてやって行けたらと思っています。f:id:macromoai:20190507185438j:plain僕は、日常的に、日本語を使ってものごとを考えます。(←わお!正確性に尽くすととんでもない文章になりますね!笑)

基本僕は、素材として日本語という音や形を使ってはいるけれど、自分の文脈や文体で思考することにしている。それゆえなのか? それは誰しもの普遍なのか? は、わかりませんが、言葉と言葉のつなぎ合わせ方「文節」が、独特だと思われることがよくあります。

シンプルな言葉しか選んでないのに、語の組み換えが特殊がゆえ、相手に意味が全く伝わらないことが多々あるのです。

難しい言葉は知らない方ですし、一般的な言葉でしか使ってないのですが、どうやら、思考回路・思考の枝や、そのルート(文脈)が個性的らしく。。で、伝わらないもどかしさを互いに覚えてるみたいなことも、まぁ、あります。

それは自分の側の問題でもあるので、自分の言葉の下手さにはよくげんなりしてしまします。f:id:macromoai:20190507185440j:plainでも、その伝わらなさって、多かれ少なかれ、みんなあるのではないかなぁと、考えます。

大切なのは、そこで関係をあきらめるか? あきらめないか? だと、僕は思っています。で、基本、僕はあきらないタイプです。もちろん、距離は測りますが、例外でもない限り、あきらめないし、人に線は引かないことが基本。

「コミュニケーション能力が高いひととは、伝えることをあきらめないひと」

今も、恩師の言葉を大切にしています。f:id:macromoai:20190507181434j:plain僕は、そんなに強くはないので、まわりの皆さんにからのリアクションや、まわりの皆さんとの結果の精査により、自分の感覚を補強していただいけている今の状況を、有り難いと感じています。

「有り難い」。

「当たり前」の反対語、ですね。

文字通り、すごい言葉だと思います。

そしてときには、自分には全く見えてないものを、まわりの方が見出してくれてる時もあり、それに対してはただただ感謝しかありません。f:id:macromoai:20190507181413j:plain同時に、「自分の仕事は自分で評価する」と言う、また別の恩師の言葉を大切にしたいとも思っています。

「他人を否定した瞬間、自分の成長が止まる」と言う、その方の言葉も。

ま、かわらず淡々とやり切るのみです。

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