オカエリ・トウキョウ・コラボレーション・コンティニュー/第三話 家族 : ぼくたちは かわることなく かわりつづける
『サヨナラ・トウキョウ・コミュニケーション』主催の企画イベント、『オカエリ・トウキョウ・コラボレーション』。
このシリーズ記事の最後には、普段からお世話になっている『よしもとよしひろ』さんの文章で締めくくります。
よしもとさんと僕の間には、一本の映画があります。
はじめてよしもとさんと話した時、話題に上がった映画のタイトル。それは『(ハル)』という90年代のマイナー映画でした。
この映画は、その10年後には日本でも支流となるネットの電子メールが、まだ『パソコン通信』と呼ばれていた時代の物語です。『(ハル)』では、当時、やがて到来するであろうと予想されていたコミュニケーション革命と、変わることなく変わり続ける人の姿が描かれていました。
人が道具を創り換えるたびに、道具が人を変えていく。19歳だったその頃の僕も、同じことを夢想し、ひとつの小説を書いていました。
それは、パソコン通信を利用し、顧客の個人的なリクエストに合わせてゲームをつくるゲームデザイナーの青年と、その青年がつくったゲームをプレイし、光過敏(のちにTVアニメ『ポケモン』で有名な言葉になりますが)によって意識的に精神を飛ばし、火星と地球を行き来する女性の恋愛物語です。
実に、幼い時期にありがちですが、その頃、そういった意識のシフトみたいなものを本気で信じていたのだと思います。
2017年秋、雑誌で読んだ記事に、主に哲学を学ばせたAIに詩を書かせるという実験結果が載っていました。
人間が投げた、「人間にとって生きる目的は?」という質問に対し、AIは「不老不死になること」という言葉で答えたそうです。
二十代の頃から、僕も同じ答えに至っていました(もちろん、僕がそれを求めていた訳ではなく、社会の流れを俯瞰して、という話です)。
手塚治虫の作品に、『火の鳥』という巨大な連作があります。『火の鳥』の生血を飲むと、人は不老不死を得る。そこに渦巻く人間模様を、いくつもの時代を渡りながら描く巨編です。
『火の鳥』のテーマは「人はいかに生きるか?」。不老不死を得ようが得まいが、そこに違いはあるのだろうか? という問いが、その頃から、僕の中にも自然と残っていました。
『火の鳥(不死鳥)』は、『コスモゾーン』という超越的で、生きとし生けるすべてのいのちが、個々に自立し合いながら同時に混ざり合っている。そして、すべてのいのちが火の鳥(コスモゾーン)へと還る。
そんな『火の鳥』を僕は、パーソナルとして個々につながり合いながら、全体として機能しあう、インターネットの仕組みのようなものだと感じていました。
それは、本当の意味でのボーダレスな社会の予兆が、20代である僕のまわりですでにはじまっていたからでもあります。
でもその環境は、『火の鳥』のような特別な物語でもなんでもなく、ただ単に、「血の繋がっている家族」と「血のつながらない家族」の違いみたいな、どこにでもありそうで、実は見えづらい話、という種類のものです。
その頃、僕はものをつくることを生業にしてる仲間と、ボーダレスなコミュニケーションをコンセプトに雑誌をつくったりもしていました。
創刊号のテーマは『家族』。
たぶん、血のつながりだけに縛られたくなかったのだと思います。何故なら、『家族』という言葉を「血のつながり」という意味に限定した瞬間、「結婚」や「夫婦」そのものを否定すると気付いていたからです。
多少、屁理屈に聞こえるかとは思いますが、事実として僕の父と母は、血がつながっていない。自分の意志で、互いを家族として選んでいる。
血のつながり=家族。そういった既成概念が、どれだけの物事を逆に複雑にしているのか? 血のつながりだけが家族であるなら「結婚」そのものを否定することにはならないか?
動物行動学的な見地から、雄としての役割も持たない父親を否定するなら、『父親』に役割を与える人間社会、その文化や文明の意味とは何か?
時を経て今思うのは、その頃から僕は、ただ、好きな人とシンプルに結婚し、自分で家族をつくりたかっただけなのかもしれません。幸せな結婚や幸せな家族を、自分自身の力で。
それらのことに気付く道程として、一旦様々な思考を整理するために、今回このイベントを開催したのだろうと、今に思います。
よしもとさんと対話していると、自然と家族の話に入る自分がいます。その対話の中に、「かわることなく かわりつづける」人の営みを感じ、同じ星をみている気もしています。
そういった一連の流れ、その答えのような文章を、今回、よしもとさんに提出して頂きました。
そして、あらゆる憂いを清々しく振り切れる形で、今回の企画イベントを終えることができました。今回のイベントに関わり、この機会を与えてくださったみなさん、ありがとうございます。
これからも僕は、自分の『心』という『自由の国』に生じてしまった「既成概念」や「思い込み」の壁を、ガンガン壊していきたいと思っています。自分を遮ろうとする自分、つまり、『天国の壁』を破壊しながら生きていくことを選び続けます。
その方法として、自分と対決するのではなく、自分との和解を選ぶことにします。そしてその壁を破壊し、その瓦礫から、新しい「何か」を生み出し続けたいと思っています。
いつも応援ありがとうございます。
ボーダレス
「ボーダー」とは何か?
境、範囲を定めるもの。
それは障壁であり、安心の確保だ。
人は区切られていると、安心する。
「自分はあの人とは違う」
比較する事で、これでいいんだと思う。
一方で、人と同じで無いと不安になる。
「ボーダレス」
境なく、交わることは不安定な事だ。
物差しが無くなる事を憂うのでは無く、
新たな価値観と触れるのだと、思いたい。
よしもとよしひろ
『アステカ文明堂』の即興ぽえぴあの
即興でピアノを弾いて、ポエムることをはじめました。
ピアノをきちんと学んだことはないけど、楽器としての仕組みがシンプル。
左にいくほど低い音。
右にいくほど高い音。
つよく鍵盤を押すと、音がつよく鳴る。
だから、きちんと勉強し、弾いたことがなくても、楽譜が読めなくても、音は鳴るし、曲にもなる。
それは、こころの仕組みとそっくりだなぁと思う。
みんな、身体のなかに、こころを奏でる鍵盤があらかじめ、そなわっている。
外界からの刺激によって、それが鳴ることを「感じる」という。
自分でメロディーを組み、鍵盤を弾くことを「考える」という。
そのひとなりのメロディーの、癖や好みを「考え方」という。
外界からの刺激を受けながら、メロディーを組み、奏でることを「思う」という。
不意に、誰かに傷つけられ、低い鍵盤をたたかれれば、悪魔みたいな音も鳴る。
誰かのうつくしさにふれ、鳴りひびく旋律もある。
それらがずっと、身体で鳴りつづけることだって、あるかもしれない。
谷保・富士見台団地の軒下に、ピアノが置かれている。
自由に弾ける。たまに弾きに行く。
音は激しく、メロディは悲しくなることが多かった気がする。
一度知識を入れてしまうと、原始的な感覚が損なわれるのは当たり前なので、できるかぎり、音楽に関しては勉強したくないな、と、決めてはいた。
ジャングルの奥深くに暮らす原住民が、身体や太鼓だけを使って奏でる音楽が、なぜ、世界で認知されているクラッシック音楽の技術を内包し得るのか?
即興朗読と同じで、ひとが偶然を連ね、時間(音楽)が生成されていく感覚を、僕はライブ=即興で証明しつづけたいのだと思う。
僕なりの即興の極意はすごくシンプル。
1、勇気:自分の中に生まれる感覚を、外に出すのをためらわないこと。
2、理性:その感覚が生まれる泉(思想)を、常に、意識的に更新すること。
3、本能:感覚に素直に反射できるよう、身体を整えておくこと。
4、世界:時間が勝手に物語をつくる仕組みを信じ、環境に身を任すこと。
そして今、ここにいる。
あいむひあー。
同時に。
ピアノや音楽理論をきちんと勉強したいという欲求をおさえるのが、逆に大変になってきた今日この頃。技術の幅を広げ、より自由に奏でたいのだと思う。少し悩む。。
思い通りにピアノを弾きたくなってきている。
ピアノに欲ってるのだと思う。
でも、今は、偶然の方が、はるかに速く自分を超えることを知っている。だから悩む。
ただたんに、せっかちなんだと思う。
カステラは
一度食べると
とまらない
『アステカ文明堂』より 愛を込めて
AI UEOKA
追伸 サイトやSNSを工事中です。あしからず。
オカエリ・トウキョウ・コラボレーション・コンティニュー :第二話 同じ星を見ている
「ボーダーレス:0(ラブ)/魂は鏡」
「主観と客観:君自身&僕自身」
「世界とわたしたち:天国の壁」
3つの視点から見つめた
コミュニケーションを通して
今の時代と
ひとを想う
三部構成の展示会
ひとに出会えるスペース
そして ライブ
これらの言葉を記したコンセプトボードを入口に展示し、絵・言葉・写真などの平面作品で構成された展示空間を展開しました。開催2日目、『第二部:主観と客観:君自身&僕自身』の展示パートに、今回『地獄の花言葉』を提出してくれた芳賀孝史さんが会場を観て、本当に嬉しそうにニヤニヤと笑ってくれたのが嬉しかった。
芳賀さんの心の器、受容力がなければ、この企画は成り立たなかったとも思います。ありがとうございました。地獄の花 【阿修羅の阿呆】■ 生息地:覚悟の城
■ 開花時期:お菓子のシワとシワと合わせて幸せしはじめる冬
■ 習性:バレンタインデーを戦争に換えたがる
地獄の花言葉 「はるか後方からのスタートだと思ってください」
~~~~~~~~~~ 意味 ~~~~~~~~~~
だめだねえ、俺はいつまでも騙され続けるのか?
マーボーチェズ。
She loves you, yeah yeah yeah.
It’s a super man.
ぱじゅーん。
ああ品川。
人生の終わりに思うこと。
ぱじゅーん。
アルカジャジーラ。
おいしいバブーン。
サカザキ。
クソ。
バカにしやがって。
30日(土)にその日限定で開催したライブイベントでは、たくさんの方に出演して頂きました。そしてその会場のMCにて僕は述べました。
(ライブレポートは後日別枠で掲載予定)
「僕はずっと『世界を壊すゲーム』をやってきました。『壊す』といっても、物騒なものでもなんでもなく、コミュニケーションを用いて自分の既成概念を破壊し、その瓦礫から新しい何かを創造するという、普段から皆さんが行っている当たり前を『ゲーム』と呼び、日々意識しているだけのことです。
今回立ち上げた『サヨナラ・トウキョウ・コミュニケーション』というグループは、それを行うための、ただのゲームシステムに過ぎません。ひとりひとり互いに自立し合いながら、出入りも自由であるという仕組みのもと、個々の責任意識において自由に情報を発信できるゲームシステム。僕はただ、ゲームクリエイターとしてこのゲームステージをつくっただけです。
この公民館は無料で展示会もできれば、無料ライブもできる。やりたい人ができる範囲で自由にやればいい。自由に使ってください。僕がここに居る必要さえ、もうないと思っています。
僕が行いたかったのは、心の冷え切った東京的なコミュニケーションへの「さよなら」であり、同時に、ずっと相変わらずにすぐ傍らにある、東京的コラボレーションへの「おかえり」です。
そして裏テーマは、今回この企画に関わって頂いている「才能を守り通すことに成功している」みなさんを、ここを発信地としていつか流通にのせることです。
が、もうすでに世間では、その流れは加速しているので、僕が何をする必要もないよなぁとも正直感じています」
今回のイベントは、その全てが僕らのポエムだ。僕らは時空間を使って詩を描いている。だから今回の作品やライブ、この会場にあるそれら全てがポエムであると解釈して貰えたら幸いです。
でもその感覚はやはり、一般的にはすんなり伝わりづらいように思うのです。故に今回、よりシンプルにそれが伝わるよう、展示という空間とライブという時間を持って、感覚に訴えかける手法を取りました。
しかし、展示会会場を見回すと、どうしても、僕らの問題意識を明確に示唆してくれる、より具体的な言葉を求めはじめる自分がいました。丁度そのタイミングで、いつもお世話になっているあらきひろしさんが作品を提出してくださいました。
今回、あらきさんに依頼させて頂いた作品は、『主観と客観』という言葉からイメージするあらきさんなりの現時点での「答え」。そしてそれが同時に、未来への「問い」になっていることを条件付けさせて頂きました。
あらきさんが提出してくださったテキスト作品は、一本の映画を通して語られる文章。偶然にもその映画の内容は、被災地である福島のことを描いたものでした。今回その作品を、展示会の入口に展示させて頂きました。
『同じ星を見ているのに』
あるドキュメンタリーのシーンから。
「福島は危険な場所だ」と8歳になる娘を抱え、パートで日々の生活を切り詰めながら東京の片隅でやっと生きていく母。
「福島は杏安全です」といって、震災後も先祖代々伝わる、農地を朝から日が暮れるまで泥まみれになって野菜作りをするおばさん。
彼女らの言葉が主観的な事実だとしたら、福島の現実は一体どのように考えれば良いのだろう。
我々のようなものの客観的な意見の位置をどこに置いたら良いのだろう。
そもそもテレビのコメンテーターが撒き散らす主観的な意見に何の意味があるのだろうか?
みんな、同じ星を見ているはずなのに。
あらきひろし
オカエリ・トウキョウ・コラボレーション・コンティニュー :第一話 道程
2019年2月24日(日)とある絵画教室で久々に絵を描いた。場の雰囲気や先生のやり方が見事にマッチし、即興詩を朗読する感じで、結果、1時間に10枚の絵が完成した。
その絵を、谷保にあるライブハウス居酒屋「かけこみ亭」を借り、一日だけ展示させて頂こうかと考えた。しかしその夜、その10枚の絵に即興詩を10本つけたとき、もう少し大きな展示会を開きたいという衝動が起った。場所を探すことにした。
とある公民館のなかの喫茶店のことが頭を過った。
その店員さんの働き方がとても美しく、印象的で、そこで働きたいと思い立ち、実際求人情報を調べほどだった(結果、募集条件が合わなくて諦めたのですが)。
その向かいに展示会場があることを、ふと思い出した。
展示会場を借りられるかどうかを、すぐ公民館に打診に行った。たまたま一カ月後に、キャンセルの枠が出ていた。偶然にも「かけこみ亭」の方々が抑えていた一週間の枠だった。キャンセルされた「かけこみ亭」のその展示会は、被災地での避難所の現場を撮影した写真展だった。
偶然、絵画教室を運営している団体のホームページにて、被災地をめぐるツアーの記事が載っていたことをふと思い出した。
所属するスタッフさんが執筆したその記事には、現代人の虚無感が見事に描かれていた。身体で答えを出せないことへの恐怖。そのスタッフさんはミュージシャンでもあり、『下半身の音楽』という言葉も伝えてくれた方でもあった。
同様、僕も常日頃からそこに問題意識を抱いていた。二日前にその記事を読み、ずっとモヤモヤしていた。
それらの点が、一気に線で結ばれた。一瞬先の未来から『GAME START』のサインが飛んで来て焼き付いた。瞬間的に、心でスタートボタンを押した。
それは、絵画教室で絵を描いてから、丁度1週間後のことだった。
「非営利活動であること」という条件のもと、会場をお借りした。3人以上のグループ展でなければNGだったので、受付け中に、普段からあるコミュニティをその場でクリアな形にした。その二時間後には企画も固めた。
当初の企画としては、『非営利活動』という条件を逆手にとって、太宰治など、著作権が解放された作家の作品のみを引用し、著作権と肖像権のルールを逆手にとりつつ、人間の尊厳を問う、みたいな展示ブースも一部考えた。
その作家たちがやりたかったであろうと勝手に感じる部分(世間が誤解しているであろう部分)を、勝手に継承し体現しようと思った。
著作権フリーの条件を、ただ利用されている作家の魂を、本気で解放したかった。
同時にその展示会を、普段大きな仕事を就いているまわりの知り合いの方のたちへのプレゼンの機会にしようかとも考えていた。0から何かを一瞬で膨張させようと企てた。
しかし、すぐにそれらを、全て止めた。
普段からお世話になっている方に、それら僕の反骨精神で積み上げられた企画意図を伝えたとき、「戦うべきは自分である」ということを気付かせて頂けたからだった。
開催までの準備期間はちょうど一カ月。『クリエイティブ・レース・ゲーム・レーサー』として、どこまで駆け抜けることができるか? 加速することができるか? に賭けた。
就職して3カ月。久々にブレーキをアクセルに入れた。同時に、最優先事項は生業としている日中の仕事、というスタンスを守り通すことを絶対的なルールとして置いた。
それをトライするにはまだ早かったのだろう。自分の限界を階段四段抜かしで駆け抜けようとしたのか? 自分の衝動や多動性をコントロールし切れなかった。
つくりたいものがどんどん膨張していった。その波紋の拡散に付いていけるだけの時間枠が、必然的になかった。
結果、実際に雑貨屋の下り階段・四段目でつまずいて、上段から宙へ飛翔し、着地に失敗。搬入前日に、生まれて初めての捻挫を経験することになった。
それよっての精神的な揺らぎは全然なかったし、そのアクシデントをすごく楽しんでもいたが、実質的に、作業に遅れが生じた。
その遅れを埋め合わせてくださった、企画・展示協力の髙塩さんには本当に感謝しています。何より感謝しているのは、余裕がない僕に対し、最優先事項として展示会を完成させる事を選び、実際時間を割いてくれてまで、様々な協力・アドバイスをしてくださったことです。ありがとうございます(つづく)。
AIUEOKA
はるか かたなで まわる うた:ステージ2・みえないつるぎ編
ここからはコアに。「本当にやりたいことは何なの?」って話を。
それはやっぱり、「音楽で物語をつくること」。
音楽って、何かしらの楽器(声帯・身体など)使ったりして、意識的に時間に形を与えてあげて、それをコントロールすることなんだと考えていて。
で、そもそも音楽が大好きだったし、同時に物語が大好きだったから、20歳の時、言葉を楽器にして『詩』をはじめたのだけど。
つまり、メインプログラムとしてシステムの基盤に『詩』を置き、そこから物語としての音楽を立ち上げ、それをコントロールすることができたら、この『宇宙』とか『世界』とかで、もっと自由に遊べるのではないか?
って、すごく考えていて。
で、箱庭としてそのプログラムを試すため・つまり「ミクロコスモス:小さな宇宙」をつくるために、『ゲームクリエター』の道に飛び込むことに踏み切る。
その頃、宣伝会議の紹介で『ピタゴラスイッチ』とかをやってる佐藤雅彦さんの作った『IQ』というゲームの制作発表会に行く。
運よく佐藤さんとは直接話せ、このゲームのアイディアは、ある日突然、映像世界に入って、そこで体験した世界を、このIQにしたという話をしてくださった。
他にもこういった体験が何回かあるようで、すべて、何月何日の何時ごろってことまで明確に記憶しているあたりが、理系の人だし、なるほど、共感できた。
で、今までにつくった、これらいくつかの作品を「ドラゴンクエスト7・フリーシナリオアシスタント募集」に添付資料として勝手に付けて、一次審査を通過。
はぐれメタルを主人公にした短編小説『はぐれのさとり』もつけた(ドラクエ6の裏ボス『ダークドレアム』が『はぐれのさとり』という『はぐれメタル』に転職するための本を落とすのだけど、実は、そのダークドレアム自体がはぐれメタルだった!みたいな、時間の概念を超えてく話)
課題であったゲームのレビューでは、『IQ』についても書いた。数学を解くことの快楽「数楽」を刺激するゲームだと。
あと、ドラクエ作者・堀井雄二作の『ポートピア連続殺人事件』のことも。犯人を探すという手法をとりながら、実は犯人の心をなぞっているというその仕組みに、ラスト絶句し、既成概念としての善悪について波紋が生まれた、というようなことを書いた。
二次試験に結んだ時に提出した作品。作者・堀井雄二さんのコピー用紙50枚位の手本が送られてきて、それを参考にしながら村をひとつ作り、そこでイベント発生させるという課題を提出。
森に囲まれた村のその奥に、広大な砂丘があり、そこで老人が、毎日砂に龍の地上絵を書いている。
実はそれは、魔王から世界を救ったことによって、のちに魔王に殺されてしまった奥さんと娘に対する鎮魂の儀式であり、それをつきとめることで主人公たちは、『みえないつるぎ』という魔王を倒すためのアイテムを得る。
『みえないつるぎ』は、イメージを具現化する素粒子でできていて、勇者のイメージによってその形や威力を変える、ただの鞘である、みたいな。
そしてイベントの最後は、砂丘の向こう側にある波打ち際で、旅人がふいに口ずさむ詩の朗読を聞いて、静かに終わる。
で、ドラクエ7の審査に落ち、そもそもなんでドラクエのシナリオライターになりたかったのか? を思い出す。
それは、一番好きなドラクエ6の感想文を課題で提出した際に書いていたこと。
ドラクエ6は、レベル10あたりで、突然、王様から船をもらう。
でも、どこに行け? とも、誰に会えとも、誰も何を言ってくれない。
で、ドットで描かれたその世界が、ものすごく広大に感じられ、不安だし、怖かったけど、同時に自由を感じた。
その場面が一番好きだったと、課題感想文にも記載。
そうか、オレは、海に出たんだ。
行くべ。
自分のオリジナル・シナリオ企画を一気に書き込んだ。
このメモ書きは、エニックスから送り返された二次試験提出課題の、最後のページの裏に書かれたメモ。
ステージ3へづづく〜
はるか かたなで まわる うた:ステージ1・まんが道編
26歳の時、結婚したかった女の子がいて、その子にもらった吉田カバンのポーチを探すために押し入れをあさったら、いろいろ出てきてびっくり!
段ボールにして5.6箱分の当時の作品やメモやノート。形にする力も、習慣づけもなかったから、9割がノートとメモ。
これは、20歳の頃だったか? 初めて本気で漫画家を目指し、Gペンで最初に描いた絵:『スラムダンク』のゴリ。
これを書いてる時に、「自分は絵が下手だけど、絵って線を引いてできてるから、線を引いていけば最後はできあがるな」って気付き、細部から攻めつづけ、一気に書き切る。
故に、全体的に少し、アンバランス。
で、ひと月でその夢に見切りをつけた。
ジョジョ第四部で一番好きだったスタンド『エコーズアクト3』
その当時、一番衝撃を受けた漫画『火の鳥・復活篇』のロビタ。この漫画を読んだ直後に、大友克洋の『メモリーズ』を観て、少し残念で、『火の鳥・復活篇』こそ映画化すべきでは。。と、ドーンと落ち込みながら帰宅した冬の夜を思い出す。
で、高校卒業後自立し、正社員で丸3年働いてた会社をやめ、使い道のなかった貯金を使い、本当にやりたいことをやるための伏線として、クエリイティブ業で日銭を稼ぐ道を模索しはじめる。
で、22歳の時、宣伝会議コピーライター養成講座に通っていた頃の課題。これは、コンペ形式で行われるその課題に、初めて入賞した2作品。
次の作品は、上級CMプランナーコースにての制作作品。この講師の方が面白くて「ヤンチャでいる権利『ヤンチャ権』」みたいなことを言ってて、友達と「ヤンチャ拳、ヤンチャ拳!」っていいながらカンフーのごとく刺激的に動き回ってた。宣伝会議で知り合った講師の方を訪ねて、クリスマスにニューヨークにお邪魔したのもこの頃。
道中記あり↓
http://d.hatena.ne.jp/macromoai/20090427/1240793133
電気自動車の広告作成で、「火星を走る最初の車」って感じのポスターつくったり(この頃はかなり「火星」と「月」が個人的キーワードだった)、出はじめたばかりのデジカメの広告で、デジカメに「ここはどこ? 私は誰?」って、記憶喪失を演じさせ、店頭体験コーナーをうながしたり。。
動画の配信が活発化してる近未来を予想し、夕陽をあび、巨大な逆光の影絵となった鳥取砂丘の動画が、実はネットの画面で、日本と海外の誰かを結んでいた、みたいな作品ばっかり打ってた。90年代、新しい何かを到来を感じ興奮していたのだと思う。
そんな訳でだいたい、講師の方があんぐりしながら、「君は何やってる人なの?」とか、「フリーランスが向いてるよね。やりたいことやるためにこそ、仕事を利用しな!」って、熱くなってくれたりしてるっていう。
周囲を納得させるために、形として「CMプランナー目指してます」って専門学校に通ったりとか、「本が出版されてます」って結果を明確にするために、マイナビから本を出したり文学賞の入賞を狙い撃ちしたりとか、昔からそういった感じで、社会的に保険をかける癖がある。
もちろんそれらは、やりたいことをやるために必要な伏線ではあるからやるのだけど、それに時間を費やすことで損なわるものも多い。
が、それは一長一短であり、思わぬ副産物を生んでくれるので、そこはものすごく有り難い。
必ずしも、自分の一番好きなこと・一番やりたいことだけが、一番良い結果に自分を導くのではないのだと、最近気付き始めている。
もちろんこれは、僕の場合の話である。「二番目」「二番手」など、『2』という数字に可能性を感じている。
が、果たして僕は今まで、一番やりたいことを全身全霊でやり切ったことがあるのだろうか?
つまり、子供の頃から「一番」『1』を怖れ、避けている自分にも近年、気付き始めている。
だから、90年代に『3』の時代が来て嬉しかったのかもしれない。
『3』=『コラボレーション』なのだと思ったのかもしれない。
で、卒業制作で、女の人の素肌にナスカの地上絵を重ね合わせるというコラージュ遊びを通して、スキャナが一体型になったプリンターの広告を提出。講師の方が作品を評価してくださり、宣伝会議を卒業後、外資系広告代理店にて、クリエイティブアシスタント始める。
その会社が色々と自由にやらてくれて、そこと、当時の恋人の部屋でフォトショップを学びつつ制作した、友人の誕生日プレゼント。スズメバチが好きだった友人に対し送ったポスターの1枚。
音楽家のその友人に紹介してもらった、『フォーテック』というドラムンベースユニットの1曲をポスター化したもの。
16歳の時、カケオチしたとき、ものすごい額を支援してくれた友人にもらった『老人と海』をビジュアル化し、お返しにプレゼントしたもの。
よく一緒にクラブに行った白人の同僚デザイナーさんにこれらを観て貰って、「「クール」って言ったよ」って当時の恋人に伝えて、「うえ、それって「フール」じゃない?」って返され、二人で笑い転げた。
そんなふうに、自分の中の阿修羅を、常に呆けさせなけらば生きられないのが、オレの、性なのだと、最近、気付きはじめている。。
アホですみません〜
ステージ2『みえないつるぎ編』につづく
歌いつづける映画たち
クィーンの映画「ボヘミアンラプソディー」について、さっき新聞に「応援上映」なるものが載っていて、今はライブ感覚で、みんなで歌ったりしながら映画が観れるみたいで、行ってみたく思いました!
さて、好きな映画はその時期によって移り変わりますが、それでも心に焼きついて離れない、ベスト映画について。
勝手に語りはじめますと、ハリウッド映画の「コンタクト」、スタジオジブリの「耳をすませば」、イタリアの映画だったか「イルポスティーノ」、そして、スティーブンキングの「スタンドバイミー」が、不動のベスト。
どの作品にも共通して言えるのは、そこに漂う詩人の魂。僕の詩心の基本となる作品です。
ちなみに、ほとんど人には話していませんでしたが、さっき仲間たちに解禁したのでお伝えすると。。
僕の夢のひとつは、将来宇宙船に乗り、宇宙の美しさについて即興詩を朗読することです。映画「コンタクト」の主人公・宇宙科学者のエリナー・アロウェイのように。
その時のために、僕は即興詩人として日々、本番を生きているのかもしれません。いつでもここが、その宇宙なので。
他にもたくさんの映画に出会いましたが、やはりこれらを凌ぐ作品はなかなか出てきません。
仕事の質で言うなら、エンターテイメント最高傑作は「君の名は。」。細田守関係も大好きです!
今、誰かと同じ場所にいて、同じものを見ているなら、沈黙を共有しままにできるかが、詩人の肝。
同時に、しかるべきタイミングで、完璧な言葉や仕草を産み落とすことができるか?
今、ここにいない人や、今ここにあるものが見えない・聴こえない人に対し、それを伝える場合に、それを写実的に説明するのではなく、原体験としてあびた裸の感覚を、別のものに変換し、それをその心のゆらぎのまま、伝えることができるか?
足しても・引いてもいけない、完璧な0を、保ちつつ。
つまり、自分だけがその美しさに注目している場合、沈黙によってそれを伝えるべきか?
もしくは、沈黙を超える言葉を生み出せるか?
ということが、詩人の肝となるかと思っています。
そういった意味でも、僕はまだまだです。
この自然界に耳をすまし、聴こえる音や、聴こえない音を伝える自動筆記作家・口述朗読師でありたいとは、もちろん思ってはいます。
でも、やはり、宇宙作の生命体としてでなく、ひとりの人工人間として、人としての自分を面白おかしく語りたくなることが多々あり、それはまぁ、小説でやるべ、と割り振りつつ、やっていけたらなぁと思っています。
ばいびぃ。
AI UEOKA